ラブ・ミュージックとしては空前のメガヒットを記録したデビュー・アルバム『ザ・リトル・ジンジャー・クラブ・キッド』。なんと1,700人のクラウドが詰め掛け入場規制となった西麻布YELLOW。2万人を完全にロックした<エレクトラグライド2004>での大トリ。その後も幾多の来日でフロアをジャックしてきた ティム・デラックス。過去から現在までに至る彼の変遷は、『ザ・リトル・ジンジャー〜』のジャケットに写る、あどけない少年が1人の「人間」として成長~成熟してゆくようで非常に興味深いものがアリマス。Qetic編集部ではそんな彼の「変化」について、当時の楽曲とともに振り返ってミマス!

チャンスをものにしたレコード・ショップ少年期

18歳にも満たない少年時代、彼はロンドンのイズリントンにあるレコード・ショップ〈Time Is Right〉でアルバイトをしていました。ハウスやテクノの12インチ・レコードを多く扱うそのレコード・ショップで、クラブ・ミュージックの“魅力”に取り憑かれた彼は、必然的にいつしかDJや自身でもトラックを制作することとなります。デモ音源をレコ屋の常連であったイギリスのベテランDJであるCJマッキントッシュに渡すと、ダブル・ブッキングしてしまっていたマッキントッシュの代役として、名門クラブ「Ministry of Sound」でハウス・シーンの重鎮トッド・テリーと共にプレイする機会を得ます。当時トッドを始めとした、マスターズ・アット・ワークやロジャー・サンチェズのような、アメリカのハウス・ミュージックに憧れていたティム少年にとっては素晴らしいチャンスとなり、これ以上ない大きな舞台で大役を見事に務め上げ、その名前と実力を早くもシーンに見せつけることとなります。

Double 99 – RIP Groove

★上記のリンクは90年代後半に友人と共に作ったユニット、ダブル99のヒット・ナンバー。この頃からフロア・ライクなアンセム・メイカーとしての資質がビンビン感じ取れる! 2006年にはファットボーイ・スリムのレーベルとして知られる〈Skint〉から再発までされたUKガレージの名チューン。

盟友ダレン・エマーソンとの出会いから、狂乱のダンス・フロアへ

若くしてチャンスをものにしたティムは、その後もDJ活動やダブル99など、幾つかの名義でヒットを残し、その名声は元アンダーワールドのダレン・エマーソンの耳にも届き、2001年にはダレンが当時運営していた〈Underwater〉とディールを結ぶこととなります。1stシングル“Siren”、その後にリリースされたのが、今もなおクラブ・ミュージック・シーンの色あせないアンセムである2ndシングル“It Just Won’t Do”(02年)。この曲のヒットが彼のターニング・ポイントとなります。以降の彼はその後もヒット・アンセムを連発して、デビュー・アルバム『ザ・リトル・ジンジャー・クラブ・キッド』(03年)をリリース、これがまた空前のメガヒット作品となります。

ANALOG PEOPLE IN A DIGITAL WORLD vs TIM DELUXE feat SAM OBERNIK – JUST WON’T DO

★ここではやっぱり”It Just Won’t Do”! ただし原曲は聴き飽きたリスナーも多そうなので、2010年にANALOG PEOPLE IN A DIGITAL WORLDと共にリメイクされたバージョンを。このバージョンは2010年に再発された『ザ・リトル・ジンジャー・クラブ・キッド』の日本盤ボーナス・トラックにも収録されています。

クレイジー・ライフからの脱却・・。

特大アンセム“It Just Won’t Do”やメガヒット・アルバム『ザ・リトル・ジンジャー・クラブ・キッド』を受けて、さらに彼はクレイジーなダンス・ミュージック・シーンの喧噪に飛び込むこととなります。休む暇もなく世界中のパーティーへDJとして飛び回り、大規模なレイブ・フェスにまでブッキングされる日々。この時期はこのまま順調に、次のファットボーイ・スリムやダレン・エマーソンのような巨大クラブ・アクトとして大箱を常に揺らせるアーティストとなるんだろうなぁ、と周囲は期待をしたものですし、その“道”が約束されたような存在となっていました。しかし実の彼はその時期以降、その喧噪から身を引く方向へと進みます。ダンス・アンセムが詰め込まれたデビュー作から比べると、ホーム・リスニングで細部までも聴き込めるような要素も多くなった2ndアルバム『エゴ・デス』(06年)を機に、自ら忙しないDJツアーからも少し距離を置くこととなります。

Tim Deluxe – I Don’t Care

★1stのラテン調アゲアゲからテック・ハウス調へシフト・チェンジした『エゴ・デス』からのヒット・シングル。アルバムには映画のスコア的なサウンドからトリップホップ調な曲まで、彼のプロデューサーとしての成長が伺えます。

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