国内外問わず現代アートや舞台芸術、インスタレーションから映画音楽まで幅広く活躍する原 摩利彦が6月5日(金)に待望の最新作となる『PASSION』をついにリリースする。実に3年ぶりとなる本作は、かの著名映画音楽作家ヨハン・ヨハンソン(Jóhann Jóhannsson)が遺した名盤『オルフェ』を手がけたフランチェスコ・ドナデッロをマスタリングエンジニアとして迎えており、音源としての仕上がりにも期待が寄せられている。
原はそんな本作から表題曲となる“PASSION”を先行配信リリースし、そしてこの度本楽曲のMVが解禁となった。映画や舞台で活躍する傍ら、ダンサーとしても才気を奮う森山未來がこの撮影に参加。原が音で紡ぎ出す世界観を視覚でも体感できる素晴らしい作品となっている。
Qeticでは本MV撮影に密着し、レポートを実施。原 摩利彦という世界が認める音楽家の才能の一端をここで触れてみてほしい。
Text by Qetic編集部
原 摩利彦、桜の季節に森山未來と京・建仁寺で邂逅
ニューアルバム『PASSION』からの先行曲MV撮影を密着レポート
Reported by 岡村詩野
予期せぬコロナ禍で「Passion」が持つ意味
京都在住の音楽家、原 摩利彦が建仁寺で新しいMVを撮影する。そんな知らせを受けたのは、ようやく日差しの暖かさが肌で感じられる桜満開の4月上旬のことだった。
6月頭に原 摩利彦のニューアルバムがリリースされることは聞いていた。そして、そのタイトルが『PASSION』という一見すると誰でも耳にしたり言葉にしたことのある馴染みのあるタイトルであることも。だが、京都大学在学中から音楽活動を開始し、ダムタイプの高谷史郎との交流から多面的に創作の現場で活躍、その後、坂本龍一と共演によってお墨付きももらった、あの原 摩利彦が「情熱」という意味を持つ《Passion》という単語を自身の作品に与えることにはとても興味があった。確かに音楽への一途な情熱に貫かれた音楽家ではある。だが、そこにはある種のストイシズムを背負ったような側面も感じられていたからだ。
しかし、《Passion》には「キリストの受難」という解釈もある。イエス・キリストが磔にされた際の苦しみを語源とするところから、「受け入れること」とする意味に転じたのだという。パッション・フルーツの名前はここからとったとも言われている。そうして《Passion》という言葉の意味の裾野を改めて知った時、世の中をふと見渡すと、世界中の多くの人が「受難」と格闘していることに気づかされた。そう、この原稿を書いている4月下旬現在、日本は…いや世界中が思わぬ事態に陥ってしまっている。新型コロナウイルスの拡大で多くの国で感染者と死者が激増。世界の大都市の多くはロックダウンし、それぞれに自宅待機と行動制限が強いられている。原 摩利彦がこうした状況を察知してこのタイトルを用意したわけではないだろうが、誰もがこの苦難を静かに受け入れながら真摯に向き合っている今、「情熱」と「受難」という二つの意味を持つ『PASSION』と名づけられたニューアルバムが届けられることはあまりにも象徴的であり示唆的だ。
主演は原とは昵懇の森山未來
果たして向かったPV撮影の場所、京都市は東山区にある建仁寺。祇園は花見小路の南突き当たりにあるこの名刹は、由緒ある料理屋や茶屋が並ぶ普段なら観光客でごった返しているエリアにあるが、この日は人通りもほとんどなく閑静で、京都本来の落ち着きを取り戻しているかのよう。この時、まだ京都は非常事態宣言が出ておらずデパートや商店街の多くも開店していたが、既に観光客はもちろん、地元住民も外出を控えるようになりつつあったのだろう。本音を言うと、このくらいで町の雰囲気はちょうどいい。
建仁寺から自転車で5、6分ほどのところに住む筆者は、やはり自転車でやってきたという原 摩利彦と、撮影現場となる建仁寺内の両足院の前で待ち合わせた。同じ京都に暮らしながらも、直接会うのは初めて。一方的に…と思っていたが、聞けば、原は去年京都の町中で行われた〈WARP〉レーベルの記念イベントで筆者が拙いDJをしているのを見ていたのだという。もちろん共通の知人も多く、この日の撮影スタッフの中にも知り合いがいてホッとする。京都は本当に狭い。
だが、原は生まれ育った地元京都に片足を置きつつも、現在は世界規模で活躍している。そんな原のために、この日「主演」としてMV出演にかけつけたのは森山未來。今や原の音楽の理解者の一人としても知られている若手の名優だ。
伊勢谷友介監督作品で、森山も出演していた映画『セイジ -陸の魚- 』(2012年)の劇中音楽に原が参加していたことを皮切りに、二人はこれまでに様々な作品で“共演”してきた。彫刻家・名和晃平と振付師でダンサーのダミアン・ジャレによる舞台『VESSEL』(2016年)の音楽を坂本龍一に代わって担当したのが原でそこに出演していたのが森山。また、ジュスティーヌ・エマールと森山未來によるヴィデオインスタレーション作品で<モスクワビエンナーレ>出品作『Co(AI)xistence』(2017年)の音楽も原が担当した。近いところでは、昨年秋、長崎県壱岐島で開催された<カミテン>に出店された映像監督の大場潤也による作品『神天』(2019年)でも両者は合流……と、1983年生まれの原と1984年生まれの森山は同世代として互いに刺激し合い切磋琢磨し合ってきた。今回、原本人のたっての希望に森山はMV出演を快諾。多忙なスケジュールの合間をぬって建仁寺におもむいたのだという。
鳥の鳴き声聞こえる祇園の名刹で
午後1時。筆者が到着すると、前日にも同じ場所でリハーサルに参加したという森山が、快晴の暖かな日差しに溢れた両足院の廊下で既に体を緩やかに動かしていた。柔らかくしなやかな体の動きに思わず見惚れる。まだ衣装は着ていない。なのに、木の床の衣擦れの音、微かに聞こえてくる呼吸、そして庭の鳥たちの鳴き声や木々のさざめきがシンクロし、もうこれだけでこの両足院と原の音楽の世界にフィットしているようにさえ思えてしまう。機材の準備をするスタッフが静かにその様子を見守っている。前日にリハをしているからか、みな落ち着いて撮影開始を待っているようだった。
今作の監督を務めるのは髙橋弘康。原の前作『Landscape in Portrait』(2017年)収録曲「Circle of Life」のMVに引き続いて手がけることとなった髙橋は、京都で毎年開催されている<KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭>(2020年度は9月~10月に延期)の共同代表を務める仲西祐介ともに、原にとっては時間をかけて信頼関係を築いてきた心強い同志だ。今回もロケーションやスタッフ・キャスティングなどを相談し合いながらこの日を迎えたのだという。
両足院は、丁寧に整備された部分と、木々がそのまま生い茂る部分とが調和された広い庭園に囲まれている。建仁寺自体そもそも敷地が広いが、両足院からは周囲の住宅や建物もほとんど見えない。祇園のど真ん中にある名刹であることを忘れさせる静寂さだ。そんな両足院の庭に、撮影前、原は録音機材を手にしてフラリと出ていた。「フィールドで採取した音を、後から映像に重ねるかもしれないから……」と原。この日撮影するMVはアルバム1曲目に収められる“Passion”だが、音楽を作ることができる「歓び」もそこに立ちはだかる「苦難」も全て受け入れる覚悟が、こんな些細な行動にも現れている。
翁面の男が舞う“背中”の演技
さて、いよいよ森山はえんじ色の装束にストールを頭から巻き、頭の後ろに「翁」の小さな面をつけた衣装に身を包む。この面は、父尉(黒い尉面)と言われるもので、現在の能楽ではあまり使用されていない翁面の類で、村の長、またはその土地の地主神などを表しているという説もある希少なもの。この面を制作したヌマバラ山ポール氏が言うには「通常白色だが、能楽大成以前は黒色のものも多くそこからインスパイアされて黒の彩色にした」とのこと。この日の撮影にも遅れて見学に参加した石原三静も京都在住の面創作の作家だ。
「総監督!」と冗談めかして森山が原を呼ぶ。カメリハのスタートだ。今回、振り付けを担当する山本晃が丁寧に動きをチェックする。なめらかで寡黙な動きはまるでスローモーションをいくつも重ねたヴェールを纏っているかのよう。だが、その中から熱い息遣いと大胆な切り返しが外に向かって突き破ってくる。それはまるで土方巽や大野一雄の往年の作品を思い出すような、前衛的かつフィジカルな舞踏。小さな面の表情が動きのたびに変化するさまを、監督の髙橋が丹念に確認していく。基本は建物の廊下と庭など屋外での撮影のため、自然光が少しでも変わると森山の動きや面に与えられる光と影の表情が変わる。その僅かな変化も髙橋は見逃さない。この日は好天に恵まれたが、原も森山も監督の髙橋以下スタッフも、日光のある時間との戦いであることはわかっている。それだけに集中力が途切れないようみな黙々と作業に向き合う。ストイックだが熱い時間が続く。
15時半、ついに本番開始。音楽は後から重ねるため、森山が廊下を歩く音、だけが聞こえてくる。だが、そこにいる全員の頭の中で“Passion”が鳴っていたのだろう。一分の乱れもなく、そこにいる全員が楽曲の流れに沿ったように森山の動き追いかけていく。最初の登場場面と、ラスト、後ずさりしていく場面を除くと、森山の顔は画面に映らない。厳しい動きを纏ったまま階段から転がり落ちたり、立ち上がったり、壁伝いに門へと向かったりするのは、あくまで背後の面の「翁」。泣きそうになったり、優しく微笑んだり、睨みつけたり……といった表情を森山は、肩を震わせたりよろめいたり凛々しく立ち上がったりしながら演じていく。それが森山であることは全く感じさせない、見事な「背中」の演技であり舞踏からは、不思議な色気や艶かしささえ感じられた。固唾を飲んで見守る原もこれ以上ないほどの充足感に満ちた表情を見せていた。
MVでは翁が庭で坐禅を組んでいるようなシーンも最後に控えている。鮮やかな苔の緑色が映える画面の中で、翁には演じる主=森山がいたことを改めて明かされるような最終の場面。翁に森山が憑依したような約6分半のMVはこの美しい鎮座のシーンで幕を閉じていく。これらの動きはすべて時系列通りに撮影されたため、15時半から18時くらいまでの午後の日差しが映像が進行するにつれて陰りを帯び、それが翁の表情を大きく左右していることに気づくはずだ。
撮了後、森山は原やスタッフと軽く談笑するも東京に向かってすみやかに建仁寺をあとにした。両足院は翁の舞踏などなかったかのように変わらぬ静寂さの中で夜を迎えようとしていた。1202年に建立された京都の建仁寺で、名もなき翁と森山未來の肉体が一体化したような情感溢れる演技と、原 摩利彦の点と点とが連なって凛とした流線型を描くような音楽が一つに重なった奇跡。それはまさしくこの曲“Passion”の持つテーゼであり、コロナウイルス感染症に揺れる今の世界が携えるべき主題になりうるに違いない。
原 摩利彦|Marihiko Hara – Passion
Text by 岡村詩野
INFORMATION
PASSION
2020年6月5日(金)
¥2,400(+tax)
原 摩利彦
Beat Records
BRC-619
1. Passion
2. Fontana
3. Midi
4. Desierto
5. Nocturne
6. After Rain
7. Inscape
8. Desire
9. 65290
10. Vibe
11. Landkarte
12. Stella
13. Meridian
14. Confession
15. Via Muzio Clementi
購入特典:「Scott Walker – Farmer In The City (Covered by Marihiko Hara)」CDR