マイスペース時代の申し子から、
名実ともにイギリスを代表するロック・バンドへ
2012年のロンドン五輪では、開会式に出演してビートルズのカヴァー“Come Together”を披露。続いて、去る6月の<グラストンベリー>ではローリング・ストーンズやマムフォード・アンド・サンズと並んで6年ぶりのヘッドライナーを務めたアークティック・モンキーズ。その威風堂々たる佇まい、バンド史上初となるストリングスを招いた鉄壁のアンサンブルはもちろん、ニキビ面の小生意気な少年たちだった彼らがすっかり色気たっぷりのロックンローラーへと成長していたことに、BBCのアーカイヴ映像を見ながら目頭が熱くなってしまった。ほぼ全曲がイントロの時点で大合唱を巻き起こしてしまう楽曲の強度は言わずもがな、もはや彼らは名実ともにイギリスを代表するロック・バンドになったと断言できるだろう。
振り返ってみれば、アークティック・モンキーズは「MySpace(マイスペース)」全盛期にブレイクを果たしたバンドだった。今やオンラインでの音楽・宣伝活動は当たり前になったが、彼らの名前が世界中に知れ渡った2005年初頭はまだツイッターが存在せず、フェイスブックやミクシィのような後発のSNSも手探り状態、同年2月にスタートしたユーチューブの凄まじさをほとんどの人間が理解できていなかった時代だ。当時の熱狂は筆者も驚くほど鮮明に憶えているのだけど、バンドのアーティスト・ページにアップされていた4曲のデモ音源はあっという間に100万回以上も再生され、名門<ドミノ>からリリースされたデビュー・シングル「I Bet You Look Good on the Dancefloor」(05年)は1週間で4万枚もの売り上げを記録し、全英初登場1位をマーク。欧米に比べれば今でもCD需要の根強い我が国ではあるが、当時の洋楽ーーというかUKロックの勢いたるやマジで凄まじく、前年からフランツ・フェルディナンド、カサビアン、ブロック・パーティー、カイザー・チーフス…etcといった先輩バンドがすでに確固たる人気を得ていたものの、やはりアークティック・モンキーズ登場のインパクトは桁違い。ショウケース的な意味合いもあった代官山UNITでの初来日公演(2005年11月)のチケットは即ソールド・アウトとなり、アイドル顔負けの昼夜2公演として実施されたことも大きなバズを生んだ。
代官山UNIT(05年)Photo by Kentaro Kambe
代官山UNIT(05年)Photo by Kentaro Kambe
ドタバタとした性急なリズム&ビートに、ハイ・ポジションで鳴らされる激キャッチーなギター・リフ、そしてフロントマン=アレックス・ターナーによるマシンガンのごとく繰り出されるヴォーカル。「オアシス以来の衝撃」と称された彼らのデビュー・アルバム『ホワットエヴァー・ピープル・セイ・アイ・アム、ザッツ・ホワット・アイム・ノット』(06年)は、発売初週で36万枚(もちろん全英1位)を売り上げ、当時のイギリスにおけるアルバム最速売り上げ記録を更新した。
SUMMER SONIC(07年)photo by Mitch Ikeda (ミッチ池田)
SUMMER SONIC(07年)photo by Mitch Ikeda (ミッチ池田)
同作はイギリスでもっとも栄誉あるマーキュリー・プライズをはじめ数々の音楽賞/年間ベストを総なめにし、興奮さめやらぬ中で届いた2ndアルバム『フェイヴァリット・ワースト・ナイトメアー』(07年)は本国のみならずここ日本でもオリコン・洋楽チャート1位を獲得。時を同じくして当時史上最年少で<サマーソニック>のヘッドライナーにも抜擢され、09年の3rdアルバム『ハムバグ』のリリース直後には日本武道館でのライヴも実現するなど、イギリス本国との温度差がほとんど無い状態でその快進撃を見届けられたロック・バンドは、誇張抜きにオアシス以来だったのかもしれない。
武道館(09年)photo by Mitch Ikeda (ミッチ池田)
武道館(09年)photo by Mitch Ikeda (ミッチ池田)