――その選曲の自由さにおいて、グランドマスター・フラッシュやラリー・レヴァンと較べられることもありますが、実際に、自分たちのスタイルを築き上げる上でロール・モデルとしていたDJはいましたか?

もちろん彼らはリスペクトされているDJだけど、DJ達がどう音楽を使っているかにインスパイアされているわけではなくて、音楽自体にインスパイアされているんだ。基となる素材に動かされるものだよ。

――『Pt. 2』が出た当時はまだ、テクノはテクノ、ハウスはハウスといった感じでジャンル至上主義的な考えが強かったという話をするDJが多いのですが、あなたたちはそれを実感していましたか? また、実感していたとすれば、そこに対する反発心は持っていましたか?

人って音楽がどう呼ばれているかよりも、どういう風に聴こえてくるかにしか耳を向けていないんだ。音楽をどう感じるか。ジャンル分けは要するにその結果だってことをみんな忘れているよね。もうラベリングはやめだ。ジャーナリストたちはもっと容易に音楽にアクセスできるように、そればかりに囚われる傾向があるんだ。だけどジャンル一つでまとめるのには音楽って複雑すぎるし、流動性を持っているものだからね。カテゴリー別にすることにみんなこだわりすぎている。音楽だけじゃなくて、全ての事に置いてね。もっと簡単に物事を解釈できるように、頭が物事を分かり易くグループ別に片付けているだけなんだ。だから、そうだね、俺たちの欲している音をクラブが提供してくれなかったから、自分で作ろうと思ってさ。その結果がこのアルバムだったんだ。

――次から次へと曲を切り替えていくあなたたちの忙しいDJスタイルは、純粋にあなたたちの志向や性格から来ているのだと思いますか? それとも、あらゆる物事に対してどんどん人々のアテンション・スパンが短くなっている今の時代の状況を、何かしらの形で反映しているところもあると思いますか?

確かに俺たちのアテンション・スパンは短いかもね…ごめん、質問なんだったっけ? だけど、間違いなくこの時代の特徴だと思うよ。Vineみたいに7秒間録画できるアプリがあるだろ? 恐らく現代の人々が集中できる時間帯ってそんなものなんだ。だけどそれは色々なものが消費しやすくなったせいでもある。俺たちの脳はこの情報で溢れている世界に適応しようとしているんだ。DJスタイルに置いては俺たちが忙しないわけじゃなくて、とにかく短く、一番いいところに集中しようとしているだけなんだ。最高のフックが30秒しかなかったら曲を全部再生する必要ってないだろ?それがDJの役割なんだ。最良のパートを引っこ抜くことがね。

――『Pt. 2』を作っていた時のことで、最も思い出深いことを挙げるとすれば何になるでしょうか?

全部とても早く終わったよ。やりたいことがわかると、物事が進むのが早いんだ。

――『Pt. 2』がリリースされた当時は、エレクトロクラッシュやディスコ・パンクが世界的に隆盛し、クロスオーヴァー・シーン黎明期の凄まじい熱気が感じられたと思いますが、それに自分たちが後押しされているという感覚はありましたか?

活動してきて、エレクトロクラッシュ、パンク・ファンク、ニュー・レイヴ、EDM、マッシュ・アップ、って色々形容されてきた。さっきも言ったからわかると思うけど、それは俺たちからしてみればおかしなことでさ。実際シーンに合わせてその音楽が好きだってフリをするか? ライヴやクラブにお金を費やすのはそこにいたいからであって、そこにいた方がいいからじゃないだろ? 別にどんなラベルを付けられても構わないけど、もうラベルなんてどうでもいいっていうことにみんな気づいていないのか? 俺たちが作る音楽には浸透している美学があるんだ。君が60年代のストゥージズを聞いていようと、80年代のプリンスにハマっていようと、90年代のエイフェックス・ツイン、2000年代のヴィタリック、現在ゲサフェルスタインが好きであろうと、大事なことは全て良質な音楽だってこと。どのジャンルに属しているかは関係ないんだ。最終的に、続かないジャンルに縛りつけられるのはバンドだからね。

――当時のシーンで最もエキサイティングだったことは何でしょうか?

新鮮味があったんだ。今まで聴いたことのないようなサウンドを創り出していた。音楽は進化していた。常に進化を遂げていた。エレクトロニック・ダンス・シーンは革新的で、斬新的だった。だからずっと進化していって、変化していくものだと思っていたんだけど、次第に一つの形に定着していったんだ。道が閉鎖されていたけど、誰もそこを通るために何かを取り壊そうとしなかった。だけど驚異的な発想を生み出すためにはある程度の破壊力が必要なんだ。だけど同時に、俺たちは音楽に活気的な変化を求めすぎているのかもしれない。もしかしたらインターネットの誕生は俺たちが思っている以上に人間の創造力は鈍らせてしまったのかもしれない。

――『Pt. 2』をひとつの発端として盛り上がっていったシーンは、2000年代後半にエレクトロの人気が爆発したことで一旦ピークを迎えたようにも見えますが、自分たちとしてはどのように捉えていますか?

君は流行をその時の風潮の現れというよりは、それ自体がきっかけであったかのように話すね。音楽シーンは時代の精神と共に進化していって、それが後に書き表されるんだ。逆じゃないよ。プレスはより多くの人に聴いてもらえるようにリスナーの領域を広めるけど、流行はそれにメリットを付け足していないってことになる。注目を集めていたムーヴメントだったから、流行まで至ったんだ。時にそれは現代の流行に当てはまるし、時に当てはまらない。それに乗っかるのは最高なことだけど、乗っかれなかったらそれは自分ではどうすることもできない。俺たちは横に突っ立って、それが大きくなっていくことをただただ見ていて、それはそれで面白かった。だけど別にそれが俺たちのプレイを影響したりはしなかったよ。未だに1997年にやっていたことと同じことをやっているからね。ただ良いアルバムをプレイするだけ。

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