第12回 希望とサッカーボール
入国してすぐにこの国の治安の悪さは感じ取れた。何しろ町を歩いている人達の目つきが良くないし、俺のバックやら靴やらを堂々と見定めている男までいる。少し不安を感じながらも既に決めてあったホテルに荷物を置き、明るいうちに外に繰り出した俺は、比較的一般の人達が多く集まっていそうな観光名所に行ってみた。「ここは街が一望出来る最高の場所」。ボロボロの看板がそう伝えているこの丘の頂上で、俺は一人の青年と出会った。
彼は一人きりで、黙々とリフティングとドリブルのトリックを繰り返し練習していた。中学、高校、大学、社会人とサッカーを続けていた俺にとって、その光景はとても微笑ましかった。向こうは向こうでニヤニヤ眺めている俺が気になっていたらしく、彼が蹴り損じたボールが俺の近くに転がって来た瞬間、交流は自然に始まった。大して言葉を交わす事も無く真剣にボールを奪い合う。ゴールなんてもちろん無い場所でひたすらに俺達はそれを続けた。
日が沈み始めた頃、彼は急に俺に向かって訛の強い英語で「もう帰れ」と言った。展開がすぐに飲み込めずにいる俺に向かって「ここはお前がこの時間に歩けるような所じゃない、もう帰れ」ともう一度鋭く言った。彼の手の甲にギャングのメンバーの証である入れ墨が描かれている事は、サッカーをしている時に何となくわかっていた。プロサッカー選手を夢見つつ、生き抜くためにギャングの一員になったのか、それともただのサッカー好きなゴロツキなのかは俺にはわからない。ただ必死にボールを追っている彼の眼差しは、目を逸らしたくなるほど真剣だった。
俺は言われた通り、すぐにホテルに戻って冷たいシャワーを浴び、ベットに寝転んだ。久しぶりにサッカーをした感覚が両足に残っている。サッカーだけが人生の全てだった頃が一気に蘇る。窓の外はもう真っ暗。彼は今頃どんな場所で何をしているのだろうか。別れ際に一瞬見せた笑顔はもう見れないんだろうか。ヒビだらけの天井を眺めながら、ふとそんな事を考えた。