––––ソロ一作目となった『何処か長閑な』は、東北モチーフのアルバムとなりましたね。
前作『僕とターヘルアナトミア』は震災から1年後に出しましたけど、僕は仙台に住んでいましたし、地元が岩手県の沿岸部なので親戚も津波で亡くなっていて。ショックがあまりにも大きくて、それが音楽に色濃く出てしまった作品なんです。でも、あのときにしか作れなかった愛すべき作品だと思います。ただ、今作『何処か長閑な』は直接的に震災のことを歌うよりも、なんとなく聞き終わった後に温かくなれるというか。そんなに深く考え込まずに聴ける日常的なものを作りたくなったんです。東北人という気持ちよりも、東北の景色を歌いたかった。それが今の自分には合っていると感じたんですね。
––––震災というトピックは、やはりズドンとくるというか。必要以上に出来事を意識させてしまう可能性も孕んでいると思っていて。
そうですね。例えば、東京にいてもよくあるのは、新しくできた建物は目に付くけど、「前はここに何があったっけ?」って思い出せないことがあるじゃないですか。小さい頃によく遊んだ景色を忘れないように、という感じではなくて、憶えている限りのことを歌に閉じ込めたら、自ずと忘れないでいられるかもしれない。それくらいの感じなんですよ。東北は四季が綺麗なので、その季節の空気を閉じ込めたかった。そこで今回のアルバムのコンセプトから「東北らしい音って何なんだろう?」と考え始めたら、意固地になってしまって。ミュージシャンもエンジニアも東北の人たちとやろうということになりました(笑)。
『何処か長閑な』
––––佐々木さんのソロプロジェクトとしてのKUDANZになって、バンドの頃よりもフォーキーな印象が全面に出ていますよね。
もともとケルトとかアイリッシュ音楽がすごく好きで、どちらかというと激しい音楽よりも静かな音楽の方が好きなんですよ。ただバンドの頃はメンバーとの世代的な部分と聴いてきた音楽の差もあるので、作る曲にアレンジが追いつかなくなってくるというか。そういう時期が結構あって、もっと音数を少なくしたいとか、自分のなかにはジレンマがありましたね。
––––いわゆるギターロックな感じには寄せたくはなかったということですか。
そうですね。僕はフォーキーにやりたいという気持ちがあって。でも、自分自身のスキルが追いつかなかった部分もありましたし、メンバーはギターロックを聴いて育ってきた人たちなので、なおのことどうしたらいいかわからないねという感じでもありました。それでも、KUDANZで東京に出てきて仲良くなったミュージシャンとのつながりができていくなかで、徐々にどんなサウンドをやりたいのかが明確に見えてきましたし、ソロになったことで自由度が増したことで、ピアニストの人とかと一緒にライブをできるようになって、今の音楽に近付いてきたという感じです。