ンプルズやトイ、テレグラム、ザ・ウィッチーズ、あるいは日本人4人組=BO NINGENといったUK発祥のサイケデリック・ロック・バンドが脚光を浴びている昨今だが、この度日本デビューを飾るマイケル・ア・グラマーもまた、世界的なブレイクが期待できる逸材だろう。

「リタリンをキメたザ・ベータ・バンド」とも形容される彼らは、フランキー・モケット(ヴォーカル/ギター)、ジョエル・セイヤーズ(ギター)、クレモンティーヌ・ブルー(ベース/コーラス)、ジョン・デイヴィス(ドラムス)からなる4人組。2011年にロンドン郊外の港町ブライトンで結成され、現在はUKの中心部ノッティンガムを拠点に活動中である。オリジナル・メンバーの黒人ベーシスト、ダニエル・オンディエキがビザの問題で祖国ケニアに強制送還されるという憂き目に遭いながらも、現在までに2枚のEPをリリース。サイケもシューゲイザーもポスト・ロックもマッドチェスターも飲み込んだ音楽性と、デヴィッド・ボウイをも彷彿とさせるバリトン・ヴォーカル、そしてケタ外れの演奏力でメキメキと頭角をあらわした彼らは、<The Great Escape>や<Green Man>といったUKの大型フェスティバルにも次々と出演を果たし、さらにブリティッシュ・シー・パワーのサポート・アクトに抜擢されるなど八面六臂の活躍を見せている。

セルフ・タイトルの1st『マイケル・ア・グラマー』は、既発の2枚のEP収録曲に、もともと3枚目のEPとして予定されていたトラック4曲を加えたコンピレーション的な要素もあわせ持つアルバム。過去2作のEPはセルフ・プロデュースだったが、『Lunar Sea』と名付けられた新録の4曲では、フィア・オブ・メンやフジヤ&ミヤギとの仕事でも知られるジュリアン・タードを共同プロデューサーに迎え、新境地を開拓した。結果として、バンドの過去・現在・未来をくっきりと刻み込んだ名刺代わりの作品となっているのも興味深い。「未来の大物」という予感がビシバシ伝わってくる彼らだが、バンドのムードメーカー、ジョン・デイヴィス(Ds)に最近のUKサイケ・シーンやメンバーの変遷、アルバムの制作背景などについて話を聞いてみた。なお、ピンと来た読者もいるかもしれないが、バンド名はブロードキャストの同名曲から拝借されているようだ。

Michael A Grammar – “Mondays” (Green Man Sessions, 2014)

Interview:Michael A Grammar(John Davies)

バンド名はトリッシュが亡くなる前に付けられていた。
今となっては、音楽の神様の思し召しだったのかもしれないよね

――マイケル・ア・グラマーは当初、フランキーとジョエルの2人で結成したバンドですよね。お2人は以前にも別のバンドやソロなどで楽曲制作を行っていたのでしょうか?

僕たちは当初、The World According to(通称:twat)というバンドでプレイしていたんだ。今よりもっと泥臭いロックやパンクを中心とした音楽性でね。自分たちの趣味志向や音楽性、あるいはバンドとしての空気感なんかがつかめるようになるまで、数年はここでプレイしていたよ。

――なぜそれを聞いたのかというと、2012年のデビューEP『Vitamin Easy』の時点で、新人離れしたサウンド・メイキングと演奏技術が完成されていたことに驚いたからです。また、『Vitamin Easy』と『Random Vision』はセルフ・プロデュースの作品でしたが、音楽学校などで楽理やエンジニアリングを学んだ経験があるのですか?

特に本を読んだりして学んだわけじゃないし、非常に限られた楽器や機材しか持ってなかったんだよね。あのEPはそういった意味で良い反省材料になったのかもしれないな。安いデジタル・オーディオ・インターフェイスとわずかなマイクを使って、アナログ・レコーディングみたいな温かみや感触を再現するのにとにかく苦労したよ(笑)。

――近年のイギリスでは、テンプルズやトーイ、テレグラム、ザ・ウィッチーズなどの「サイケデリック」を基調としたギター・バンドが数多く活躍しています。同世代で、あなた達がシンパシーをおぼえるバンドはいますか?

シンパシーは特にないかなぁ……。たしかに、60年代後半から70年代前半のサイケデリックな雰囲気をまとったバンドがリバイバルしている気はするね。でも僕らはバラ色の眼鏡なんて無くしちゃったし、過去にとらわれて生きているつもりはない。多くの点で、僕らはこのカテゴリーには当てはまらないと思う。願わくば、自分たちの二本の足でしっかりと立って、夢のためには休まず前進し続けられることがベストだな。

――Facebookページには「晴れた週末のほとんどを、自宅でジョイ・ディヴィジョンとレディオヘッドを聴きながら過ごしてきたハミ出し者」と記載してありますが、マイケル・ア・グラマーの皆さんがもっとも影響を受けたアーティスト、バンド、あるいは人物を教えていただけますか。

キャプテン・ビーフハート、フランク・ザッパ、レッド・ツェッペリン、ザ・カーディガンズ、ネルソン・マンデラ、アルティメット・スピナッチ、そしてスコット・ウォーカーだね。

――バンド名はブロードキャストの同名曲から引用されていますが、その由来は? マイケル・ア・グラマーの結成とトリッシュ・キーナン(ブロードキャストに在籍した女性ヴォーカル)の死去は同じ2011年ですが、追悼の意味もあったのでしょうか。

ジョエルとフランクはブロードキャストの大ファンだったんだ。実は、バンド名はトリッシュが亡くなる前に付けられていた。彼女が亡くなってしまった今となっては、音楽の神様の思し召しだったのかもしれないよね。

Broadcast – “Michael A Grammar”

――オリジナル・ベーシストだったダニエルの強制送還はまさに青天の霹靂だったかと思いますが、どのように後任のクレモンティーヌと出会い、バンドにリクルートしたのですか? また、彼女は美しいコーラスでバンドに新しい風を吹き込んでくれていますが、クレモンティーヌがバンドにもたらしてくれた最大の功績は何だと考えますか。

僕らと彼女はライフ・ドローイング(いわゆるヌード・デッサン)の教室で出会ったんだ。彼女は本当に魅力的なキャラクターの持ち主で、バンドのライヴ・パフォーマンスにおいても、より強靭なエナジーやエッジをもたらしてくれたよ。ダニエルは真のファンクスターで、彼のベース・プレイはまるでチョコレートのようだった。2人は誰からも比較されるようなことはなかったし、僕らのサウンドやスタイルはどちらにもフィットするものだったと思う。

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それは僕たちが求めるすべてだ