第50回 もしもピアノが弾けたなら

行者天国を歩いていると道の真ん中に人だかりが出来ていた。若い頃に大道芸をやっていた私は、こんな時いつも迷わず覗きに行く。少し遠巻きに見ている観衆の様子を見て、一体どんな芸なのかさらに興味を引かれた。人の輪の中心にいたのはかなり小柄でガリガリに痩せた青年だった。私は一瞬で気付いた。彼は私の息子だ。

20年以上前の事。大学のサークルで始めた大道芸の世界に心底魅せられてしまい、私は就職も決めないまま大道芸の練習に没頭した。もう大学なんてどうでも良くなっていたが、なんとか卒業の目処が着いた頃に彼女が妊娠した。かなり年上の彼女だった事もあって堕ろす事は考えなかった。私はどうしても「父親になる」という意識を持てないまま結婚し、相変わらず就職もせずに大道芸を続けた。彼女はお腹が大きくなっても、仕事が休みの日は大道芸を観に来てくれた。終演後、投げ銭タイムになるとすぐに散って行く観客の中で、彼女が率先してお金を入れに来るのが恥ずかしくて仕方なかったのをよく憶えている。仕事、将来の不安などの過労が重なっていたのだろう。その後彼女は破水し、超未熟児で産まれた息子は、体が成長しづらい後遺症を抱えてしまった。

自分の愚かさにやっと気付いた私は大道芸をすっぱりと辞め、ものすごく小さい息子と、笑顔が消えてしまった彼女のために就職した。無理矢理居候して小道具だらけにしてしまっていた彼女の部屋も綺麗に片付け、高い医療費に驚きながら、朝から晩まで働いた。しかし、もう間に合わなかったのだ。1週間振りに帰った部屋には記入してある離婚届以外、何ひとつ残されていなかった。いつから手遅れだったのかは今でも分からない。

路上にぽつんと置かれたあの小さいピアノのおもちゃ。あれこそ私が20年前に大道芸で使っていた小道具だ。彼女がまとめた荷物にたまたま紛れ込んだのだろうか。それとも息子が気に入ってくれたのだろうか。ボロボロになっている外見が何とも言えない悲壮感を漂わせている。息子は人1倍小さい体を生かし、人形になりきってのシュールなパントマイムを続けていた。「もしかして彼女が観に来ているかもしれない」そんな事を考えていたその時、丁度息子がクライマックスを迎えた。周りにいた人々が一斉に立ち上がり、方々に散って行く。私はポケットの中で財布を握りしめた。でも体が前に動かない。絶対に父親と気付かれるはずなんて無いのに。交錯する人だかりの中で、私は息子をわざと見失い、足早にその場を去った。