いよいよ10月9日(金)より公開される音楽ドキュメンタリー映画『ブラジル・バン・バン・バン:ザ・ストーリー・オブ・ソンゼイラ〜ジャイルス・ピーターソンとパーフェクトビートを探しもとめて〜(以下、ドキュメンタリー映画『ブラジル・バン・バン・バン』)』。世界的DJジャイルス・ピーターソンがUKの仲間たちとリオデジャネイロ(以下、リオ)に赴き、現地のミュージシャンとセッションして完成させたアルバムの制作過程を追ったこの作品では、現地でのレコーディングの様子を通して、リオに脈々と受け継がれる音楽文化やカリオカの精神、現地の人々の様子/表情、そしてリオが誇る魅惑の景色の数々を、臨場感たっぷりに体験することが出来るのです。

そんな映画の魅力を伝えるために、Qeticでは音楽プロデューサー/ラジオ番組制作者の中原仁さんに、ブラジル文化の専門家としてその魅力を詳細に解説してもらったのも記憶に新しいところ。けれどもこの映画を紐解くキーワードは、“ブラジル”だけではないのです。第2弾となる今回は、“音楽ドキュメンタリー作品”としての視点から映画の魅力を解剖すべく、74年の来日以降何十年にもわたってTV/ラジオ等様々なメディアで良質な音楽を紹介してきたピーター・バラカンさんに、映画を観て感じた魅力を語ってもらいました! 

この映画に『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』にも通じる魅力を感じたというバラカンさん。ジャイルスとの出会い、オススメの音楽ドキュメンタリーなどを話してくれるその語り口は、至るところに「音楽には色々な楽しみ方がある」という気持ちが垣間見えるような、とても誠実なもの。あなたもぜひ、劇場で自分なりの楽しみ方を見つけてみてください。

ピーター・バラカン 映画推薦文

ブラジルの音楽についてあまり詳しくないぼくはこの作品をとても興味深く見ました。基本的に 企画アルバムの制作舞台裏を描いたものなので、どこか『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』と共通点がありますが、『ブエナ・ビスタ』をプロデュースしたライ・クーダーと同様に、『ソンゼイラ』を手がけたジャイルズ・ピーターソンも部外者として独特の視点を持って様々な世代のミュージシャンたちをまとめています。撮影や編集も非常にカッコよく、一つのドキュメンタリーとしても十分見応えがありますが、見終わったらこのアルバム『Sonzeira – Brasil Bam Bam Bam』が絶対に欲しくなります。

ピーター・バラカン(Peter Barakan)

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1951年8月20日ロンドン生まれ
1973年、ロンドン大学日本語学科卒業
1974年、来日、シンコー・ミュージック国際部入社、著作権関係の仕事に従事。
1980年、同退社
o このころから執筆活動、ラジオ番組への出演などを開始、また1980年から1986年までイエロー・マジック・オーケストラ、後に個々のメンバーの海外コーディネーションを担当。
1984年、TBS-TV「ザ・ポッパーズMTV」というミュージック・ヴィデオ番組の司会を担当、以降3年半続く。
1988年、10月からTBS-TV で「CBSドキュメント」(アメリカCBS制作番組60 Minutesを主な素材とする、社会問題を扱ったドキュメンタリー番組)の司会を担当。音楽番組以外では初めてのレギュラー番組。 2010年4月からTBS系列のニュース専門チャンネル「ニュースバード」に移籍、番組名も「CBS 60ミニッツ」に変更。 2014年3月終了。
1986年から完全に独立し、放送番組の制作、出演を中心に活動中。
peter barakan dot net

Interview:ピーター・バラカン

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——そもそも、ジャイルス・ピーターソンにどんなイメージを持っていましたか?

ジャイルズのことは、彼が〈トーキング・ラウド〉をやっていた時に名前を知ったんです。僕は70年代から既に日本にいて、80年代に彼がロンドンで海賊ラジオをやったりしていた時期のことは一切知らなかった。でも80年代の終わりか90年前後に、ロンドンのクラブでみんながジャズを聴いて踊るというのが流行った時期があって、ジャイルズだけじゃなくて、イギリス人の若いDJたちが50年代や60年代、あるいは70年代のジャズのレコードをクラブでかけて若者たちが踊るという面白い現象になっていたんです(※)。ちょうどその頃に僕が〈ブルーノート〉のハモンドオルガンばかりの曲を集めたコンピレーション『ソウル・フィンガーズ(SOUL FINGERS……AND FUNKY FEET)』を作って。そうした現象との同時性もあってコンピレーション自体も売れたんです。その時に「イギリスでこういうことをやってる人がいるんだ」というのを知ったんですね。その後、〈トーキング・ラウド〉でテリー・キャリアーの新録音のアルバムを出したりしているのを見て、「かなり面白いことをやってる人だな」と思ったんですよ。

(※いわゆる“アシッド・ジャズ・ムーヴメント”のこと)

——音楽の紹介者としての信頼感もそうですし、ラジオDJとしての活動もそうで、お2人には共通する部分も多いように思います。そんなバラカンさんから見て、音楽の紹介者としてのジャイルス・ピーターソンは、どんな魅力を持っている人だと思いますか?

まず、世代が一回りくらい違いますよね。だから、ジャイルズの方がその分音楽への入り口は遅かったことになる。でもね、彼は遡って聴いているレコードの数が半端じゃないんです。きっと僕の数倍レコードを聴いていると思いますよ。僕は意外にそうでもないんです(笑)。日本でも僕よりはるかに音楽を聴いている人は沢山いて、「どこにそんな時間があるんだろう?」と思うんですが、ジャイルズも本当にすごい。それから、僕の場合はラジオのDJしかやっていないけど、ジャイルズはクラブのDJもやっていて、人を踊らせることを結構意識しているし、世代的にデジタル・ビートを否定しない人ですよね。逆に、僕はダメなんです(笑)。いくつか例外はあるけれども、「パーカッションやリズムは人間が手で叩くものに限る」という人間だから、「この曲はいいけどこの曲はちょっとついていけない」というところがあります(笑)。彼は根っからのコレクターでもあるので引き出しが多いし、ただ持っているだけではなくて、持っているものを放送に出したり、クラブでかけたりもしている。あの人の忙しさは、本当に大変なものだと思いますね。

——ジャイルス・ピーターソンが関わった作品の中で、好きな作品があれば挙げていただけると嬉しいです。

やっぱり、さっきも言ったテリー・キャリアーの『Timepeace』(98年/※)。僕はその作品で初めてテリー・キャリアーのことを知って、衝撃を受けたんです。軽くファンキーだし、ソウルの味わいもあるし、シンガー・ソングライターとしての知性が感じられる。そういう雰囲気が濃厚に出ている作品で。それまでに聴いたことのない黒人のシンガー・ソングライターという感じがして、とても自分の琴線に触れたんですよ。

(※彼の復活作として〈トーキング・ラウド〉からリリースされた作品)

——ああ、なるほど。一方、バラカンさん自身がお仕事される時に意識しているのは、どんなことなのでしょうか。

もっと若い頃は、「まだ誰もかけてない音楽をいち早く紹介したい」という野心が多少ありましたね。まだラジオ駆け出しの30代の頃から40代ぐらいまではそれが続いたんですけど、60代になった今はそこまでしようとは思わなくなっています。むしろ、新しくても古くてもいいから、自分がいいと思った音楽を少しでも多くの人に聴いてほしい。そして、つねにリスナーとの信頼関係を大事にしたい。時代があまりにも先に行っちゃって、今はどんな音源でも、基本的にはインターネットで数分検索すれば聴くことが出来ます。でも、みんなそれで満たされているかと言えば、必ずしもそうではないですよね? 音楽との「きっかけ」や「出会い」を作る人は必要だと思うし、自分の役割はそれだと思っていますね。

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