第109回 悪夢の中で

目が覚めると乗客は私だけになっていた。過ぎ行く車窓の景色も見慣れない。もしかしたら終点さえも寝過ごして、車庫に向かっているのかも知れない。駅から2、3駅までの記憶はあるんだけど。すっかり眠ってしまった。最近は毎日終電まで終わらない仕事のせいで心も体も疲れ切っている。でもこんな失敗は初めてだ。私は反省しながらひとつ大きく深呼吸をして、バスの運転手に声をかける準備をした。その時だ。
「やっと起きたのかメグミ。終点で声かけようと思ったんだけど、あまりに気持ち良さそうに眠っていたからそのままにしちゃったよ。それにしても久しぶりだね。別れてからだから半年振りか。メグミがいなくなってから俺は狂いそうだったよ。でもやっとメグミが帰って来たから元の自分に戻れそうだ。メグミも寂しかったんだろ?」
運転手はスピーカー越しに喋り続けた。この声に聞き覚えも無ければ、私はメグミでもない。私は少し怖くなって降車のボタンを押した。誰もいない車内に虚しく降車放送が流れる。運転手は何も言わない。バスのスピードが段々上がり始めた。辺りはもう住宅地を抜けてしまっている。間違いない。私は連れ去られているんだ。私は急いで携帯電話を取り出した。でもどうしてもパスワードが思い出せない。落ち着かなければ。するとしばらく静まりかえっていた車内に運転手の声が響く。「お客さん! お客さん!」
目を開けると運転手が私を揺すっていた。私は思わず絶叫して飛び起きた。「終点ですよ、早く降りてください」すごく不機嫌そうに運転手が言った。夢だったんだ・・私は謝りながら急いでバスを降りた。まだ心臓が強く打っている。そして周りを見て気づく。ここはどこだろう? 全く知らない場所だ。振り返ると運転手が降りて来た。すごく嬉しそうに。
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