類まれな歌声とダンススキルをあわせ持つ「和製マイケル・ジャクソン」として日本屈指の実力/人気を誇るソロ・アーティスト、三浦大知。彼が通算6作目のフル・アルバム『HIT』を完成させた。気鋭の若手プロデューサーたちと次々にタッグを組んだ2016年以降の活動の集大成とも言える本作は、彼のキャリアの現時点までの最高到達点。ここでは彼のデビューから現在までの道のりと、様々な音楽的冒険が詰まった『HIT』の魅力をご紹介したい。
弱冠9歳でデビューを果たし、日本屈指の実力を持ったソロ・アーティストへ
三浦大知は、現在は女優として活動する満島ひかりやAKINAらと結成したダンス&ボーカル・グループFolderのDAICHIとして9歳でデビューすると、ブラック・ミュージックの要素をJ-POPに取り入れた楽曲とジャクソン5時代のマイケル・ジャクソンを髣髴させる圧倒的な歌唱力で一躍人気を博す。しかし、00年には変声期の喉への負担を考慮して一時活動を休止。05年に三浦大知名義での活動をスタートさせた。Folderのメンバーとは今も関係が深く、ソロ・デビュー10周年となった15年の楽曲 “I Remember”のChoreo Videoでは、《時が経った今だって/色褪せはしない/あの道の続きを/今もまだ歩いてる》という歌詞に合わせてFolderのデビュー曲“パラシューター”のCDを手に取っている。
三浦大知 / I Remember -Choreo Video-
彼の最大の魅力は、曲制作やダンスの振り付け、ライブの構成/演出までをトータルで手掛けるプロデューサー的視点を持ったセルフプロデュース力の高い活動と、ダンス/歌を筆頭にしたひとつひとつのスキルの圧倒的な高さ。そのため彼への憧れを公言する若手アーティストは多く、筆者が担当させてもらったダンス&ボーカル・グループの取材でも頻繁に「憧れの存在」として彼の名前が挙がる。そうしたリスナー/アーティスト双方からの人気も相まって、作品ごとに人気を獲得。11年の3作目のアルバム『D.M.』で初めてオリコンチャートのトップ10入りを果たすと、13年の4作目『The Entertainer』も5位を記録。15年の通算5作目となる前作『FEVER』は自身最高位となるオリコンチャートの3位を記録した。
若手シーンの精鋭たちとのタッグで話題を呼んだ、16年以降のさらなるブレイク
だとするなら、彼がさらなる支持を獲得したのが、よりエッジの効いた音楽性を手にした16年以降の活動だろう。16年3月にリリースされたシングル“Cry & Fight”では、過去曲でもタッグを組んだUTAに加えて、Sugar’s Campaignでの活動でも知られる気鋭のプロデューサー/トラックメイカーSeihoと初タッグを組み、当時アメリカを中心に音楽シーンの一大トレンドとなりつつあったトラップの要素を楽曲に昇華。Seihoはもちろんのこと、カニエ・ウェストにフックアップされて注目を集めたカシミア・キャットやリドといったDTM系トラックメイカーが12から13年頃から追究していたテクノ/ハウス・マナーに収まらない楽曲構造も反映し、「ポップ」と「先鋭性」の絶妙なバランスを楽曲に落とし込んだ。
三浦大知 / Cry & Fight
LIDO – MONEY
Cashmere Cat – Wedding Bells