都会の若者が抱く心理的な空虚、またの名を心の“空き部屋”に、その人にぴったりな音楽を届けることを生業とする音楽プロジェクト・MAISONdes(メゾン・デ)。彼らが掲げる“六畳半ポップス”の全体像や、“一人”と“マス”の対立軸を高い次元で両立させる稀有な活動については、先日のコラムにて多少の想像を交えながら語らせてもらった通りだが、前回こそ語りきれなかった疑問をここで改めて投げかけたい。MAISONdesの創作はなぜリスナーの胸に響き、なにを目指して紡がれているのだろうか。

【コラム】“令和ポップス”を象徴する音楽プロジェクト・「MAISONdes(メゾン・デ)」が若者の感情に刺さる理由

それを読み解くために、MAISONdesのプロデューサー的な立ち位置で、数多くのアーティスト、もとい“入居者”をクロスオーバーさせる管理人の素性に近づくことが、ある種の有効打になるのではないか。そう考えた筆者は早速、MAISONdesの管理人に申し入れ、メールインタビューの機会を頂戴した。本稿を通して、読者各位がMAISONdesのモットーや未来像の輪郭を捉えることができれば幸いである。

INTERVIEW
MAISONdes 管理人

まずは、管理人としての仕事について尋ねてみた。
制作の際、“こういうヒットの仕方をしてほしい”など、楽曲ごとに達成すべき明確な目標、あるいは目的を事前に取り決めているのかを尋ねてみる。

「目標なども決めてはいますが、曲によって様々です」

なるほど。その目標の詳細こそ気になるものだが、やはり前提部分の認識が全楽曲とも共通のようだ。

「楽曲を一緒に作っていくクリエイター・アーティストの方によりますが、どんな方でも“六畳半の部屋に住んでる誰かの歌にしたい”という枠組みだけは最低限伝えています。それしか伝えない方もいれば、もっと細かく楽曲の世界観やアイデアについて話し合って決める方もいます」

それでは、早くも本稿の確信を突くような問いかけになるのだが、MAISONdesの音楽はなぜ、いわゆる“Z世代”に刺さるのか。その作り手がどのようにこの現象を捉えているのかが気になるところだが。

「Z世代という言葉自体を強く意識した事はありません。また、大きなターゲットみたいなものも作ったコトは無く、誰かひとりのための歌、というコンセプトを突き詰めていったら今のような結果になりました」

【101】[feat. yama, 泣き虫☔️] Hello/Hello / MAISONdes

予想外の回答だったが、その上で管理人は次のような解釈のヒントをくれた。

「若い人のほうが、心に感じることにバリエーションがあり、個人的な想いを重視するのでしょうか」

MAISONdesのメインリスナーは、おそらくだが前述の通りZ世代、言い換えれば大学生や社会人、ひいては彼らの“一人暮らし”という理想のシチュエーションに憧れを抱く高校生から、実際に一人暮らしをする大学生や社会人になって間もない世代だろう。彼らが都会の一人暮らしや孤独に疲れたところに、MAISONdesは心の“空き部屋”を埋めにやってくる。その音楽を聴くことで、空虚さに苛まれる自分さえ愛おしくなってしまうのだろうか。

たしかに、20代後半〜30代前半といったZ世代の周辺世代のリスナーも存在するわけだが、もう少し若いレイヤーと比べると、そうした虚しさや一人暮らし特有の孤独に慣れてしまうのでは、というのが筆者独自の見解である。管理人の言葉にある「心に感じることにバリエーション」とはいわば、あらゆる物事を新鮮に感じられるような人生の未開拓領域とも言い換えられるのではないだろうか(すごく簡単に言えば“擦れていない”とも表現できるかもしれない)。

また、先日のコラムでは、プロジェクトの代表曲“ヨワネハキ feat. 和ぬか, asmi”が、2021年にTikTokで最も“使われた”楽曲であるという話題から、音楽の“スナックカルチャー”化についても軽く触れたのだが、MAISONdesはその点について自覚的、かつ肯定的に受け取っているとも記していた。MAISONdesがどんな存在かわからなくてもよい。たとえ、“この楽曲を歌っているのか誰かは知らないけど”という楽しみ方をされても、それを容認してしまう。その理由についても尋ねてみた。

「MAISONdesというものが何か人格を以ていたり、自分で創作を行ったりパフォームしたりしないからです。むしろ、何かの人格に依ったモノの限界を超えて、“とにかく誰かのためになるものを作る”という目的から成り立ったものなので」

MAISONdes – ヨワネハキ feat. 和ぬか, asmi / THE FIRST TAKE

つまりは、MAISONdesは音楽プロジェクトとしてアーティストとしての人格、あるいは身体性を帯びない(言い換えれば放棄する)ことで、無敵の音楽活動をしているということ。作品自体に対する批評は、その創作者の人格を非難するものではないという言説をたびたび耳にするが、まさしくその例に関連するところだろう。誤解を恐れずにいえば、音楽が法外な使われ方をしない限り、リスナーを感動させられればなんでもよい。コンテンツとしての“成し遂げ”をしているのと同義と捉えるわけだ。この言葉が相応しいかはわからないのだが、ある種の達観ですらある。

そうはいっても、管理人にも感情はあるはずだし、当人の音楽を聴く際の心情や好んでいる音楽の系統が、MAISONdesのそれにも反映されているはず(だし、勝手ながら反映されていてほしい)。プラットフォームの特性を理解する架け橋として、管理人が過去に救われてきた音楽について尋ねてみた。

「音楽でも、映画でも漫画でもアニメでも小説でも、“この物語は自分の話なのではないだろうか? なんで自分しかわからないと思っていた気持ちを表現している人が他に居るんだろう/自分だけだと思っていた気持ちと同じモノを持った主人公が居るんだろう”と思わされるものに救われてきたように思えます。自分のためだけに作られたものなんて本当はないはずなのに、“そんな気持ちにさせてしまう創作物は本当にすごいな”と思います」

まさにMAISONdesの音楽をそのまま言い表したような返答だった。管理人自身がMAISONdesそのものであるなら、たしかにあれほどコンセプトが強力に固められた“六畳半ポップス”が量産されていても不思議ではない。では反対に、MAISONdesの信条として絶対にしないと決めていることは? これについては「基本的になんでも取り組みたい」と前置きをしながら、次のように語ってくれた。

「六畳半のサイズからあまりにも逸脱したこと」
「管理人の実像と明かすこと」

【210】[feat. yama, ニト。] アイタリナイ / MAISONdes

先ほど、管理人の音楽遍歴を掘り下げようとしたばかり。大変恐縮である。最後に、前回のコラムでも期待感を述べた通り、住人らによるフェス開催の可能性の有無についても問いかけてみた。

「誰かにとって良いものがたくさん集まったら、それをシェアしたくなりますよね。そういう意味で、フェス形式のようなライブは行おうとしています。いわゆるフェスではなくて、フェスでワイワイするのが苦手な人にも来ていただきやすいモノを作りたいです」

“フェスでワイワイするのが苦手な人にも”といった配慮が、これまた人々の生活に根ざし、そこで感じる孤独感に寄り添う、いかにもMAISONdesらしい心遣いである。そして、彼らの未来予想図はこれだけに止まらない。

「MAISONdesはfeat.で成り立っているので、様々なユーザーがMAISONdesにfeat.して自由にクリエイティブを流通させられる市場みたいなものも作りたい」

あくまで筆者の想像だが、まだ無名のアーティストが客演として楽曲やイベントに迎えられる機会や、そういったシステムが生まれるのだろうか。実現性でいえば、リミックスコンテストなどもありそうである。くわえて、音楽制作を志していないリスナーもまた、TikTokでアーティストの歌の無音部分をアカペラで歌うといった動画投稿もされているだけに、MAISONdesに住むアーティストたちと一緒に音楽を楽しむような仕掛けも楽しめるようになるのではないだろうか。

そうした参加型、あるいは音楽以外のフィールドにおいても、MAISONdesのアパートに住んでいるような感覚を味わえるエンターテインメントだって生まれ得るだろう。いずれにせよ、2023年以降のMAISONdesにも注目が集まりそうである。

本稿を通して、MAISONdesが贈る“六畳半ポップス”の核心に一歩でも近づくことができただろうか。と言いながらではあるが、ミステリアスな部分もまた同プロジェクトの魅力。それだけに、今後も適度な距離感を保ち、保たれながら、彼らの動向を興味深く見守っていきたい。

Text:一条 皓太

RELEASE INFORMATION

アイワナムチュー feat. asmi, すりぃ

2023年1月6日
MAISONdes

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アイタリナイ feat. yama, ニト。

2023年1月13日
MAISONdes

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