最初の2~3作はクリエイティビティを感じていた。しかし、10本くらい作っているうちに飽きてしまった。アイドルが変わるだけで内容にさほど変化がなかったからだ。そんなところへ音楽家の菊地成孔から「ミュージックビデオを作らないか」という話が舞い込む。そうして出来たミュージックビデオが好評で、クラブやライブハウスで見せるVJのオファーが来るようになった。ドレッシーなクラブで見せたら映えそうな、水中で女の子が漂う、おしゃれな映像を2004年から撮りはじめた。
おしゃれな水中映像を撮っているクリエイターがいる、ということが業界で話題となった。
蜷川実花監督の映画『ヘルタースケルター』(2012年)で、女優・沢尻エリカの水中シーンを撮ることになった。実は、水中ニーソはそんな水中映像を撮るうちの副産物として出来たものだった。
「MVとか映画とかでオーダーを受けて水中映像を撮る時に、カメラやモデルのウォーミングアップの時間を作っていたんです。ウォーミングアップとして撮っているのがもともとの水中ニーソ。僕としては作品という意識もなくテストやリハーサルのつもりだったんです。」
水中ニーソから水中ニーソプラスへ。
作品撮りというつもりもなく、ダイビングプールで女の子を撮ることを続けていた。
「ウォーミングアップで撮っていた写真をTwitterにアップしていました。ある日、たまたま『競泳水着にニーハイはかせるとすごくいいね』みたいなツイートを連投していたんです。その連投のひとつに『ニーソの魅力を最大限に引き出すのは泳いでいるとき』とツイートして、ニーソをはいている競泳水着の女の子が泳いでいる写真を上げたら、それだけがバズってしまって(笑)。本当は『水中でニーソを見せるときに、一番魅力的に見えるのは泳いでいるとき』という意味なんですけど、ニーソを魅力的に見せるために泳がせているという、ヘンな誤解が生じた。それがTogetterにまとめられて、いっぺんに6万アクセスとかになっちゃって(笑)。」
自分の知らないところで水中ニーソが一人歩きをはじめた瞬間だった。
水中ニーソ作者、古賀学氏
「Togetterまとめを見たポット出版から写真集にしませんかという連絡が来ました。」
撮りはじめた当初は写真集にする気などなく撮っていた。写真集にするつもりもない作品が写真集になることになった。撮りためていた写真だけではバリエーションの幅が足りなかったので追加撮影もした。こうして一冊目の写真集『水中ニーソ』(2013年)が誕生。大きな話題となる。
「一冊目がすごい話題になってしまった。なので、ポット出版から続篇を作って大丈夫となった。で、二冊目を作ろうとして作ったのが『水中ニーソプラス』(2014年)という作品です。一冊目と違って、最初から本を作ろうとしてスタートしました。一冊目が話題作となったので、どうやったら二冊目は超えられるのか? ということが課題でしたね。なので、水中専用ニーソとして開発されたメカのニーソとか、うさ耳とか、タコの触手との絡みとか、ちょっと素直に水中ニーソとは言いがたいカットがけっこう載っているんです。」
『水中ニーソプラス』の表紙も飾ったメカデザイナー・NAOKIのデザインしたメカニーソは話題となった。このメカニーソ、実はミニチュアと女の子との特撮写真だ。この特撮が、特撮とはわからないほどのクオリティだった。だれもが本当にメカのニーソを作ったと信じ、驚いた。二冊目も一冊目以上の大ヒットとなる。
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