青山礼満(アオヤマレマン)
CLUB OPUST代表
1993年3月15日
東京都世田谷区下北沢出身
22歳でホストになった。
誘ってくれた友達は18のときに渋谷で会った仲間の1人。
僕には歌舞伎町のバーで働いてるって言ってた。
そいつはすげー変わってて、
ある日急にブランコ漕ぎたいとか言い出すから、近くの公園に一緒に漕ぎに行った。
そのとき唐突に「バーで働いているのは嘘で、本当はホストなんだ」って打ち明けてきた。
ホストのイメージといえば盛り盛りの髪の毛にとんがった革靴、サバみたいに光ったスーツ。
正直めちゃくちゃダサい。
自分とは真逆の世界にいる人達っていう認識。
でも僕の友達はサバみたいなスーツもとんがった靴も身につけてなくて、話を聞いていると自分でもできるかもと思った。
女の子にはそこそこモテてた気がするし、何より接客には自信があった。
ホストは自分が商品になって、お客様に値段をつけてもらう。
ホストクラブでは指名すると、どんなに安く飲んでも1万円はかかる。
グループには1ヶ月で4600万売ったホストがいると聞いた。ランボルギーニ接客だ。
僕もランボルギーニに乗ってみたい。免許はないけど。
イメージとして、女の子はお金を払ってもらう側だ。
じーちゃんにもデートのお金は男が出すべきだと教わってた。
でもホストクラブは、女の子が高いお金を払って遊んでくれる場所だ。
自分はどれぐらい価値がある男なのだろうか。
毎晩高いお金を払ってでも女性が来たくなる接客ってなんなんだろうか
刺激中毒の僕は浮世離れしたホストの世界を見てみたくなった。
これが、僕がホストをはじめたきっかけ。
ホストクラブの営業時間は朝までのイメージもあると思うが、10年くらい前に風営法がうんたらで、閉店時間は25時。
ちょうど終電がない僕は歌舞伎町から下北沢まで歩いて帰っていた。
街灯の少ない甲州街道や
静まりかえった下北沢の街を今でも覚えてる。
同期の仲間がよくうちに来ていたので、ホストとして成功する夢を語りながら帰った。
売れたら時計や服がほしいとか、広い家に住みたいとか、あの先輩にかわいがってもらいたいとか、ムカつく先輩には負けたくないとか。
ただ、1時間歩いて帰るのもそんな話をしながらだとあんま辛くなかった。
辛かったことと言えば、22なのに実家暮らしってことや、毎日のご飯の節約。
カフェをやっていたときよりも生活水準が落ちたこと。
ルックスがあまりよくなかったから、初回のお客様にブスって言われるのはかなり堪えた。
今思えばスケールの小さい話だ。
ホストを初めて4ヶ月は胸くらいまでの長さのロン毛だった。
色気があり雰囲気も出るしアンニュイな感じ?黒髪ロン毛は超イケてるって思ってた。
全然売れてなかったけど。
お店の先輩たちには「髪の毛切れよ」
と言われてたけど
「知らないんすか?いま巷では黒髪ロン毛流行ってるんスよ」
って言って頑なに切らなかった。
いま新人の子がそんなこと言ってきたら、アンパンチ飛ぶと思う。
でもそんな僕が、バッサリ髪を切った。
続きはまた今度。