アジアン・インディー・ミュージックシーンvol.3」ではシンガポールのミュージックシーンを取り上げたわけだが、シンガポールという国が発展していく中で、その歴史が音楽にどのような影響を与えて、現在のミュージックシーンが形成されていくまでのストーリーが、非常に興味深かった。このvol.4では、そのシンガポールの隣国であるマレーシアのミュージックシーンをみていきたい。

シンガポールもマレーシアも中華系・マレー系・インド系の民族で、ほとんどの人口を構成している点は一緒だ。ただ、シンガポールは中華系74%・マレー系13%・インド系9%に対して、マレーシアはマレー系67%・中華系25%・インド系7%という割合で構成されていて、マレー系と中華系の割合が逆転している。そんなマレーシアの人口構成のように、マレー系マレーシア人3人と共に“Dirgahayu”というバンドで活動をしている、中華系マレーシア人&日本人のハーフであるSeikan Sawaki(Drum)にマレーシアのミュージックシーンについて聞いた。加えて、その“Dirgahayu”をリリースしている〈Soundscape Records〉というインディーレーベルオーナー、Makの言葉も交えていく。

まず、インタビューに答えてくれたSeikanとMakについて簡単に紹介すると、二人とも優しく温かくゆる〜い、楽観的な”いいやつ”だ。過去二度だけだが、マレーシアに行って自分が出会った人たちはみ〜んな、基本ベースがそんな印象。Makは〈Soundscape Records〉というインディーレーベルと、「Live Fact」というライブハウスを運営し、国内外のアーティストのマレーシア公演をオーガナイズしたりもする。Seikanのバンド“Dirgahayu”は、2013年に結成されたばかりながら、個々のメンバーが元々それぞれのバンドでキャリアを積んでいたこともあり、その高い音楽性ですぐに頭角を現し、この3年で二度のジャパンツアーや、マレーシア・シンガポール・フィリピン・インドネシアを周る東南アジアツアーを決行している。

アジアン・インディー・ミュージックシーン 〜vol.4「マレーシア」with Seikan from “Dirgahayu” and Mak from “Soundscape Records”〜 column160805_sho_4

Dirgahayu(左から二人目がSeikan)

まず彼らが話したのはこの連載では恒例の話題、メジャーとインディー・ミュージックという境界や違いはあるのか、という点。

Mak 「もちろん他のどの国とも同じように、メジャーとインディー・ミュージックの違いはあったけど、このデジタルの時代にはその差はなくなってきていて、今は両方とも同じコインで、そのコインのどっちの面なのか、というだけの話に思えるよ。」

Seikan 「全然境目はないですよ。そもそもちゃんと音楽で食べていけるメジャーアーティストがマレーシアにはいないんです。いても、指で数えられるくらいの話。CDショップは、ショッピングモールに「Rock Corner」とか「Speedy」という小さなチェーン店が少し入ってるくらいで、しかも、ジャスティン・ビーバーとかカラオケとかドラマサントラとか、そういう類のCDだけ。マレーシアのローカルアーティストでCDがお店に並んでる状況が少ないから、メジャーもインディーもないです。」

この点に関しては、香港もシンガポールもマレーシアも似ていて、日本よりもマーケットがぐっと小さい分、メジャーだインディーだという境目はあるにせよ、そんなに大きく違う部分はないという印象。あっても、ローカルアーティストについてはメジャーという人たちが限りなく少なく、大半がインディー・ミュージックだということだ。そんなインディー・シーンではどんな音楽が好まれているかというと、

Mak 「EDMは常に大きいね。それとポストロックやマスロックのようなインストゥルメンタル・ミュージックも人気があるよ。」

Seikan 「EDMはそうですね。あの類は他の国と同じように、今の流れとか関係なくいつでも根強くありますよ(笑)。他はどのジャンルが特別、ということでもなく、いろんなシーンがそれぞれ存在してます。ポストロックやマスロックなどのインストもそうだし、パンクやハードコア、ヒップホップや王道ロックも。人種やコミュニティが共存しているのもあるし、インディアン・ヒップホップ、マレー・ポップ、チャイニーズ・ポップというふうに、コミュニティごとに存在している音楽もあります。」

マレーシアでも音楽でメシを食っている人たちはほとんどいない。そんな話はこれまで連載で取り上げた香港、シンガポールなどと同じ状況だ。事実、Dirgahayuのメンバーはそれぞれ別の仕事をやりながらバンド活動をしているし(会社員、デザイナー、専業主夫、スタジオ運営など様々)、Makもレーベルとライブハウス運営、イベンターなどの純粋なミュージック・ビジネスのみで生活をしているわけではない。そういったこともあって、彼らの音楽に対する姿勢はシンプルだ。

Mak 「マレーシアのアーティストたちはとにかく彼らの生活、環境、問題からインスパイアされているということに尽きると思う。マレーシアでは音楽だけで生きていくことはできないからね、だから、みんなマーケットや流行りがどうかとは関係なく、アーティスティックな価値観や自己表現にフォーカスすることが多いよ。」

音楽でメシを食うという価値観が在る世界には、大きくなればなるほど売れる売れないの見えない物差しによって、表現の幅や自由の制限が少なからずあるだろう。一方このマレーシアのように、音楽でメシを食うという価値観が存在しない世界では、そんな物差しによって音楽が計られることはない自由がある。だが、そこには競争がない。高みや深みを目指さなくても自己が満足されればそこで終わりなのだ。

Seikan 「CDを作るというのはある意味ステータスのようなもので、それが名刺代わりにもなるし、事実ライブでのギャラもCDを作っていると高くなるという傾向がありますね。ただし、売れる売れないは元々期待していることではないから、CDを作ったことで彼らのアーティスト活動が満たされてしまう。CDを作って満足してしまう人が多いんです。だから、そこから更にライブのパフォーマンスの精度を上げるとか、新たな表現を更に生み出さなければならないとか、そういった考え方になりにくい。」

これは自分がアジアのミュージックシーンに触れる上で感じた問題点の一つで、最も痛感したのはライブ・パフォーマンスについて。音源や音楽そのものはすごくかっこいいものが多いし、音楽の中に日本では感じることのできない異物感を感じて、とても興味深いものに数多く出会えるのだが、いざライブを見てみると音源を超越したヒリヒリ感みたいなものが欠落していることがある。日本において、特にバンドであれば、ライブ・パフォーマンスが音源を超えてくるというのは最低ラインだと個人的には思っているが、アジアのアーティストのライブを見ると、あー、音源はかっこいいのになーと思ってしまうことが何度かあった。それは演奏技術、気持ちや気迫みたいなこと含めたパフォーマンス全ての面で、何かが欠落してしまっている。それは、ノーギャラでライブを演って自己満足で終わっているとか、ライブをできるイベントがそもそも少ないとか、先に挙げた、深みや高みを目指そうという環境や価値観がない世界に依るところが大きいのだろうと想像できる。

Dirgahayu | Kyu / Ju Roku (Live on The Wknd Sessions, #94)

Dirgahayu | Istinggar (Live on The Wknd Sessions, #94)

Dirgahayuはそんな現状を客観視できていることもあってか、ライブ・パフォーマンスに関しても他のアーティストよりレベルが高い。今年のジャパンツアーはこれら映像よりも更に磨かれたパフォーマンスを見せつけていた。

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