最初にとりあえず言っておきたいんですが、最後に出てくるオススメのシンガポールのアーティスト、どれもやばいです。YouTubeの再生回数も少なくて、全然知られてないアーティストもいて、いやいやいや、って感じなのでまずはそれを言わせてください。

さて、vol.1vol.2では香港のインディー・ミュージックシーンを見てきたが、国を移して今回はシンガポールへ。シンガポールでは国民一人当たりのGDPが日本よりも優に高く、東京だけに絞ってもほぼ同じくらいの経済立国であり、昨今インターナショナルなアーティストが来るようなフェスも非常に多い。例えば今年だけでもBattles、CHVRCHES、THE INTERNET、THE 1975などが出演した<St Jerome’s Laneway Festival>(1月に開催)や、HIATUS KAIYOTE、Jose Stone、Incognito、Buena Vista Social Clubなどが出演した<Sing Jazz>(3月に開催)、他にもこれから開催されるEDM系フェスから、Sigur RósとFOALSのみアナウンスされている<NEON LIGHTS>なども控えている。

一方で、シンガポールは面積が東京23区よりわずかに大きいぐらいの、とても狭い国だ。そんな国で音楽は一体どのように存在しているのだろうか。シンガポールを拠点に、自国のアーティストのリリースとマネジメントを行う「KittuWu Records」のオーナー“Errol Tan”にシンガポールのミュージックシーン事情を聞いてみた。

Interview:Errol Tan from KittyWu Records

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−−まずは、あなたの現在の仕事、シンガポールのミュージックシーンとの関わり方を教えてください。

Errol Tan(以下、Errol) シンガポールを拠点とする、レーベル兼マネジメント「KittyWu Records」のオーナーであり、運営をしてるよ。シンガポールのアーティストを中心にリリースを行い、いくつかのアーティストはマネジメントもしている。今は妻となったLesleyと一緒にやっているよ。元々は純粋な音楽好きというところから始まっているけど、シンガポールの小さな音楽のコミュニティに対して、もっともっと何かを働きかけたいと思うようになった。自分が駆け出しのデザイナーだったころ、友達のバンドのジャケットやTシャツ、バッジなんかをデザインしてたから、音楽レーベルやマネジメントを始めるというのは、その次のステップとして自然な流れだったよ。

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Errolはイギリス系大手広告会社にてデザイナーとしても働いている。

−−あなたは現在自国におけるインディー・ミュージックシーンとの関わりが主だと思うのですが、シンガポールでは「メジャー」と「インディー」といったような異なるシーンが存在するのでしょうか?

Errol そもそもシンガポールのミュージックシーンはとても小さく、まだ全然発達していない。「メジャー」というと、メインストリームの、インターナショナルなポップ・ミュージックだし、「インディー」というとアンダーグラウンドなオルナタティブ・ミュージックをシンガポール人は連想するだろうね。流行りのヒップな音楽であっても、それがポップ・ミュージックでなければ、「インディー」と思う人も多いかもね。

−−シンガポールでの「音楽の在り方」とはどのようなものであると思いますか?

Errol シンガポールの歴史において、音楽は様々な問題と直面してきた文化の一つなんだ。

1960年代、シーンは活気のあるアジアン・ミュージックで賑わっていたんだ。でも、1970年代後半から80年代に、シンガポール政府によって、音楽は唐突に抑圧されていった。政府はヒッピーなロックンロールとそこに関連付けられるドラッグ、長髪、乱交的なセックスを忌み嫌い、恐れていたんだ。それでロックのライブ、コンサートを全面禁止した。ラジオでも流すことを禁止した。そうなると、もちろんヴェニュー(ライブハウス)やバーは閉鎖に追いやられてしまう。だからこの自体に生きた世代の人たちにとって、音楽というものが彼らの人生に影響を与えた部分は小さく、それよりは国の経済や生産性とか、国の発展に対してより大きな関心を持っていた。シンガポールは1965年に独立したばかりだからね。

1990年代、我々の(音楽の)「暗黒期」を終えると、小さな小さな「再生期」を迎えることになる。The SmithsやNirvanaなど、グランジやシューゲイザーといった音楽に影響を受けたローカル・バンドが少しずつ生まれてきたんだ。そして、ポニーキャニオン・シンガポールといった大手レコード会社ができて、そういった音楽をリリースし始めた。といっても、そんなに大きくて活気のあるライブ・ミュージックシーンはまだなかったけどね。

2000年代にはいると、シンガポールという国自体が、東南アジアにおける経済的なハブとなったことによって、アジアでもいち早くiTunesやYouTube、そしてSpotifyなどのストリーミングサービスまでが普及し始めた。ラジオはTop 40のメインストリーム・ミュージックで埋め尽くされ(ちなみにインディーやオルタナな音楽をかけるラジオ局は一つだけ存在する)、一年を通してフェスがあちこちで開催されるようになった。

St Jerome’s Laneway Festival
・Singjazz
Garden Beats
Neon Lights
Zoukout Singapore
・Mosaic Music Festival(2014年を最後に休止中)
・Moonbeats

など、様々なジャンルの音楽ファンに向けたフェスがあり、著名な国外のアーティストたちがシンガポールに来るようになって、大きなスタジアムやホールでライブが行われているよ。

ただ、同時に中小規模のヴェニュー(ライブ・ハウス)がないのが問題で、若いバンドがパフォーマンスを磨き、経験を積む場がないんだ。かつてはそういった場所もあったんだけど、シンガポールでは家賃も非常に高く、加えて騒音問題や、政府とのいざこざなど様々な理由で、みんな潰れちゃったんだ。だからこそ、じゃないけど、今シンガポールのインディー・ミュージックシーンにいる人たちはなんとかそういった問題を乗り切ろうとDIY精神で頑張ろうとしているところだよ。

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博物館やギャラリーの並ぶエリアにある“The Substation”という劇場

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“The Substation”では劇場鑑賞用の稼働式椅子席があるが、それを閉まってこのようにステージを組めば、ライブも行うことができる。スタンィングで200人ほど入るが、ライブのできる同規模のスペースがほとんどない

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