もう一つ、マレーシアのミュージックシーンが更に大きくなっていくために、克服しなければならない課題は何かという話になったときに、Makは、

Mak 「“Segregation”が課題だけど、それを克服するのは複雑で難しいことだね。」

と答えた。ここでいうSegregationは、直訳すると「差別」とか「分離」とか「隔離」とかなのだが、Seikanがもっと具体的なストーリーを話してくれたので、それでニュアンスを理解できると思う。

Seikan 「マレーシアはライブをできるようなハコが少なくて、Makさんがライブハウスを開いたように、仲間で集まってライブハウスを立ち上げようって動きはでてきているんだけど、警察との問題があるんです。マレーシアではライブをやると警察がふみ込んでくることがあるんですよ。そこに正当な理由はないし、警察本人たちも上からの命令でやっているだけで、なぜかと聞きいても分からない。ライブハウスでやるような音楽は、未だに悪の根元みたいに捉えているんですね。宗教的にっていうこともあると思います(*国教はイスラム教)。あとは、警察も給料が安いんですけど、薬物やってないかとか、酒を飲んでないかとか(*ムスリムは酒を飲んではならない)そういうことをチェックして捕まえ、お金もゲットするっていうのもあります。マレーシアの警察は腐敗が激しいんです。」

そういえば、去年、とても話題になった大きな事件がありました。「Rumah Api」というパンク系のライブハウスがあるんですけど、そこで開催されていたイベントに、約15〜20人くらいの武装された警察が踏み込んできて、そこに参加していたスタッフ、お客さんなどがみんな逮捕され、その後数日間拘留されたんです。その場にいたらしい僕の友達も何人か捕まりました。

「Rumah Api」はパンク系にはよく知れた、首都クアラルンプールにあるライブハウス&コミュニティだ。調べたところ、この事件は2015年8月28日に起こったようで、当日そこに居合わせたスタッフや観客たち160人ほど全員が逮捕、拘留されたらしい。これは、翌日に開催される予定だった反政府デモとのなんらかの関連性を疑った警察が、正当な理由なくガサ入れを行ったと考えられるが、実際にはデモとRumah Api及びこの日のイベントとは関係性もなく、逮捕される理由は一つもないクリーンなイベントだったそうだ。

アジアン・インディー・ミュージックシーン 〜vol.4「マレーシア」with Seikan from “Dirgahayu” and Mak from “Soundscape Records”〜 column160805_sho_2

Rumah Apiの壁

これがMakの言うSegregationの一例だと考えられる。Vol.3シンガポール編でも、過去に国がロックを抑圧していった歴史を紹介したが、マレーシアは現在進行形でこんなSegregationが存在している。ただ、勘違いしてほしくないのは、人種的に仲が悪いとか、差別が存在するとか、宗教問題だとか、何か一つに問題があるようなことではないという印象を受けた。

と、この辺りの話はマレーシアを二度、短期間でしか訪れたことのない自分が語るには浅すぎる話になってしまうので、音楽の話に戻したい。自分がアジアの国々を周った中で、その土地の醸し出す匂いとか色とか空気とかに最も「違い」を感じたいのは、マレーシアだった。それは宗教的、人種的な「違い」が、個人的に馴染みの薄いものであることによると思う。マレーシアでは冒頭に述べた67%がマレー系であり、彼らのほとんどはムスリムである。国教はイスラム教であって、そんな環境で育まれた感性は、日本に生まれ育った人間からすると、やはり独特なものになるのだろう。そんな感性から生まれる旋律が、彼らの音楽にも反映されているように感じていて、非常におもしろい。

Dirgahayuに加えて、Makの〈Soundscape Records〉から作品をリリースしているNAOというスリーピース・インストゥルメンタルバンドを紹介したい。ベースのTengはZAZEN BOYSなんかも聴くと言っていたけれど、ポストロックやマスロックをベースにしているように思える音楽ながら、やはり彼らの旋律もどこか独特な雰囲気を醸し出している。ちなみに彼らはmouse on the keysのマレーシア公演をサポートしたことがある。

NAO | Cowman (Live on The Wknd Sessions, #87)

こちらはLike Silverというエレクトロニック・デュオだ。

両方とも荒削りながらなんだか、おもしろい。違和感。異物感。そんなものがうごめいている気がする。必ずしも人種や宗教がその異物感をダイレクトに生み出していると断言できるわけではないが、そういった環境や文化の中で育った感性なのだから、間接的にはもちろん影響があるといえるはずだ。そんな異物感は音楽を含めたアート全般にも垣間見ることができる。クアラルンプールのチャイナタウン近くに位置するFINDARSというアートスペースがある。ここは、画家、デザイナー、ミュージシャン、写真家などのアーティスト自身による、アーティストのためのDIYスペースで、カフェ&バーやギャラリーを併設し、展示やライブ、創作活動などが行なわれている。

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FINDARSに参加している画家”Tey Beng Tze”の作品

アジアン・インディー・ミュージックシーン 〜vol.4「マレーシア」with Seikan from “Dirgahayu” and Mak from “Soundscape Records”〜 column160805_sho_1

FINDARSの2Fにある、ギャラリー&カフェバー“aku”

FINDARSに参加している画家“Lim Keh Soon”の作品及びインタビュー

上記の動画でインタビューに答えている画家、Lim Keh Soonは、インデペンデントであることに拘り続けている、と話している。その理由は、より大きな可能性があるということ、そして一番大事なものは、「自由」であると答えている。これまで触れてきているアジアン・インディー・ミュージックシーンでのキーワードであり、この連載でその一長一短や実態が見えてきている気がする。ただ、今回一ついえるのは、そのSegregationによって「自由」と「評価」と「異物感」が奪われてしまわないことを願う。