磯崎愛生/zaqi 第二回

雲ひとつない真っ青な秋晴れの空を見て、悲しいと思う人にしかきっと分かち合えないかもしれない。美しすぎて悲しい。それ以上でもそれ以下でもない。なんの意味もない。

世界は終わり続けている。

今日は学校に行く必要も、仕事に行く必要もない。ただカーテンの隙間から見える景色が見え、この部屋で聞こえる外の音が聞こえる。遠くを走る車の音、お喋りしながら歩く人たち、自動販売機で誰かが飲み物を買う音、飛びながら鳴く鳥、近所の誰かがピアノの練習をしている。そして、その後に微かに換気扇の音がする事に気付く。その時、世界では沢山のことが起きているに違いない。新人のカフェ店員がラテアートをできるようになったり、誰かに我が子が産まれたり、どこかの国では愛する人が死んだり、きっとスペインあたりでは今ごろ若者が図書館で司法試験の勉強をしたりしているんだろう。
 

新しいノートに何を書くか考えるのに何時間も眺めてしまう事が嫌いじゃない。

こうゆう時は無理にテンションを上げなくても良い。これはこれで、大切にすべき何か。

10年前、風が強い地方の田舎で、私が1歳の時に死んだお爺さんから受け継いだトランク型の画材箱を毎日持って、美術科のある高校に1時間かけて電車通学をしていた。鼻の先が痛くなるくらい寒い日だった。改札の手前の待合室から出ようと立ち上がった時、首に巻いた長いマフラーが画材箱の金具に引っかかって、画材箱の蓋が開いてしまった。待合室にぶちまけられた中身と電車の発車を知らせるベルの音と、まったく関係なくその日の天気は雲ひとつなく綺麗に晴れていた。
電車が行ってしまった後も、待合室の床で窓からの光を浴びてキラキラ光るガラス瓶や筆から目が離せなかった。その日はその後も私は電車に乗らなかった。

昨日、魔女の修行をしているという女性に出会った。彼女はzineを沢山作っていて、私は最新号だという一冊だけを買った。
そういえば、もうすぐハロウィンだから魔女のコスプレをした女の子たちが街に溢れるだろうけど、本物の魔女は身を隠すためにユニクロを着たりして街に出るのかもしれない。ここ最近では、本物の魔女はきっと“普通の人”のコスプレをするんだろう。

もう一度、彼女に会いたい。