from
maco marets
「うろたえる花」
先日、実家に帰省した折に母親が「近所のおばあちゃんからロウバイをもらったよ」と嬉しそうに話しかけてきたのだけれど、ロウバイ、と耳にしたわたしの脳内で変換されたのは「うろたえる」意味の「狼狽」でしかなく、して狼狽のおすそわけとはいかなることか、 「え?」間の抜けた声に続けて問い返すことになりました。「なにそれ、どういうこと?」
だからロウバイだよ、と母が手に持っていたのは控えめな黄色いつぼみをいくつも生やした木の枝束で、ここで更なる説明を乞うてようやく、そのロウバイが漢字では「蝋梅」と書く梅の花の仲間であることを知りました。言われてみればたしかに、光をやわらかく透かすような、マットなつやのある花弁はまるで蝋細工のようにも見えます。植物に関する知識などまるで持たないわたしは、初めて見る造形の花を前にして「これは綺麗だねえ」なんて感嘆のため息をもらしつつ写真を撮るなどしました。
しかし見れば見るほど、その花びらは丁寧に成形されたつくりもののように思えてきて不思議です。そこで、蝋か、ガラスか、プラスチックか、とにかく固くひんやりとした素材を想像しながら、思い切って……あろうことか、指先でつまむようなかたちで……わたしは蝋梅の花に触れてみることにしたのでした。結果はもちろんおわかりでしょう、ぐにゃ、拍子抜けするほどのもろさでそれは潰れていました。
おそらくわたしは、この蝋梅がしっかりと自分の指先を押し返すような頑なさ、強かさを備えているものだとどこかで信じていたのです。いや、ここで「見た目でものを判断してはいけない」とかなんとか、古ぼけた教訓話につなげる意図はありません。ただ、ほんのひととき抱いた(勝手な)幻想も、触れてみればすぐに掻ッ消えるのだ……と、文字通り「狼狽をもらった」かたちでわたしはうろたえ、潰れた花弁をこっそりもぎ取り捨ててしまった。
このとき覚えた動揺は、羞恥か、あるいは後悔に近いものでしょうか。なんであれ 「綺麗だね」と言い置くだけでは剥がし去れない感覚が、今でも、固まった蝋のごとく指先にこびりついているのです。