タブーとされがちな”認知症”をテーマとした舞台『HIROs LIED』を観劇した。一面的なテーマだけにフォーカスした物語ではない、現代に生きる私たち人間に課せられた新たなタブーである”分断”への疑念、危惧、そして、メッセージが込められている作品だ。

混沌とした今の時代に、コンテンポラリーダンスや芝居を通して、何を伝えたいのか。ベルリンを拠点に世界で活躍する演出家・振付家の前納依里子さんをゲストに迎え、舞台公演を終えたばかりの彼女へのインタビューを交えた舞台レポートをお届けする。

REPORT:
舞台『HIROs LIED』

演出家・前納依里子が舞台「HIROs LIED」そして、ベルリンから伝えたかったこととは? column11207_hiroslied_06
演出家・振付家 前納依里子/Photo by Menelaos Liondos

東アジア独特のテーマを掲げ、ドイツで表現した前納依里子

『HIROs LIED』は11月19日、20日の2日間に渡り、シュテーグリッツ地区にある劇場「TanzTangente」にて開催された。ワクチン接種者が増えたにも関わらず、新型コロナウイルスの感染者数が増加の一途を辿るベルリンは、2Gというワクチンパスポートとリカバリー証明を持つ人だけが入店可能。2Gに満たない場合は、交通機関を利用する際も24時間以内に検査した陰性証明が必要になるといった厳しい規制を敷いた。(現在はさらに厳しい規制が課されている)そんな混沌とする情勢の中での開催となったが、チケットはほとんどが完売となる大盛況に終えた。

演出家・振付家の前納依里子さんは、14歳から声楽やバレエ、ジャズダンスを始め、その後コンテンポラリーダンサーとしてのキャリアをスタートさせ、これまでに、東京ディズニーランドや新国立劇場のオペラやダンスプロジェクトなどで活躍してきた。ベルリンへは2016年に拠点を移し、振付家、演出家、ダンサー、ダンス教育者としての新たなキャリアをスタートさせ、現地のアーティストとともに自身のプロジェクトを始動させた。

私が個人的に興味深いと感じたのは、日本を含む東アジア独特のテーマを掲げ、それをドイツで表現するという点だ。東アジア地域特有の文化遺産である海女漁の歴史と現在をテーマとした『AMA-Perlentaucherin』では、2020年に本公演が開催出来なかったことから、360°の映像で見せるといったこれまでにない斬新な発表を行い、演出家が自らカメラを回し、編集まで手掛けている。ドイツでは馴染みのない”海女”という存在にフォーカスした点やドイツを代表するクラウトロックバンド、タンジェリン・ドリーム(Tangerine Dream)のトースティン・クェシュニングが音楽を担当しているなど、独特の感性とジャンルも国境も垣根を超えた発想にとても関心を持った。

-Vimeo-
AMA-Perlentaucherin

認知症がテーマの舞台『HIROs LIED』

HIROs LIED』は、私にとってベルリン生活の中で初めて観たセリフのある本格的な舞台である。当然ながらコンテンポラリーダンスにおいても、演劇においても素人だ。しかし、主演の舞踏ダンサーとして第一線で活躍する吉岡由美子さんとAsuka Julia Riedlさんによる日本語とドイツ語が入り混じるセリフ、全身全霊で表現するコンテンポラリーなダンスは、直球ストレートに心の奥まで届いた衝撃的な作品だった。認知症を患った日本人女性とその娘の物語という、一見タブーにされがちなテーマにあえて挑んだ理由は何だったのか?

前納依里子(以下、前納) 「10年前ぐらいに東京で認知症デイケアセンターに研修に行く機会があって、その時から”認知症”をテーマとした作品でやりたいと思っていました。そのデイケアは、末期的な症状の方ばかりなのですが、数十秒に一度同じ質問をエンドレスに繰り返す人、突如立ち上がってはヘルパーさんに怒鳴りちらす男性、お人形を本当の赤ちゃんだと思って優しく話しかけ続ける人、毎朝壁に排泄物をなすりつける人など、まさにカオスそのものだったんです。ベルリンに移住してから、今度はベルリンのデイケアに2カ月間リサーチに行きました。

そこは、東京のデイケアで見た光景とは真逆の平和で牧歌的な施設で、行く度に心が癒されるような柔らかい空気に満ちていたんですよね。認知症というのは一面的には語れないものだと感じ、まず、ドイツ人の高齢者5名とデイケアを舞台とした30分の作品を制作しました。今作の『HIROs LIED』は認知症をテーマとした2作目となります。主人公のヒロさんは、ベルリンのデイケアで出会った日本人女性ですが、彼女と出会って、初めて移民として異国で老いを迎えるということをリアルに想像したんですよね。記憶を喪失してもなお残る日本の民謡や日本的な所作を垣間見て、自分の老後を見るようでもあり、そこから今作の設定を思いつきました。」

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『HIROs LIED』/photo by Dieter Hartwig

事実、重いテーマであることに変わりはないが、かといって、絶望感に浸ることなく観劇できたのは、ユーモラスな演技、リアルと幻想が入り混じる美しい映像、そして、感情を揺さぶられるサウンド効果や音楽による演出の素晴らしさからだろう。今作で音楽を手掛けたドラマー・プロデューサーの青島主税さんにも制作について尋ねた。

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ドラマー・プロデューサー青島主税/Photo by Robert Geismar

青島主税 「認知症を通じて”人間はどこから来てどこへ行くのか”という本作のテーマを強く意識しました。普遍的で深いテーマなので、音楽もシーンや楽曲によっては普遍的な曲が必要だと思いました。認知症が進行すると小さい頃の思い出が強くなっていくと聞いてました。本作の母、HIROも、もともとは日本に住んでいたことから、一時帰国中に様々な音源を録音して、それをコラージュして曲のいたるところに散りばめたり、実際のシーンで鳴らしたりしてます。例えば、日本独特のお風呂が沸いた自動音声だったり、街の雑踏の音、鈴虫の音など、日本を彷彿とさせる音がふんだんに使われてます。

他に、心象についても認知症の母と娘という立場や観点からどう制作するかは試行錯誤しました。例えば、娘が母の認知症を初めて認識した瞬間のシーンがあるのですが、その感情の変化をどう音で表現するか悩みましたね。技術的な点においては、認知症のループ感や齟齬感を表現するために、あえてクオンタイズは使わずに音をずらしたりしています。認知症の症状とうまくリンクさせることが出来たのではないかと思います。」

実は『HIROs LIED』には、”分断”という裏テーマが隠されていることを公演後に知った。依里子さんは、以前から国、人、身分、文化などにおける”分断”においてもずっと危惧していたという。そこへ、コロナパンデミックという”分断”を象徴するような出来事が起きたのだ。

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『HIROs LIED』/photo by Menelaos Liondos

前納 「コロナ以前からアメリカのトランプ現象やブレグジットなど”分断”は顕在化してはいましたが、世界的パンデミックによって、その流れが一層強く広がったことに対して非常に胸を痛めています。国単位だけではなく、人間単位でもそれは明らかです。

とはいえ、”分断”は最近になって突如として現れた問題ではありません。私は自分自身が日本社会に適合できなかった人間であるためか、昔から社会の周縁的存在により共感を抱いていました。東京で活動していた当時は、下流社会などという言葉が出現し、自分が「彼ら、持てる者」の定義する下流に属する人間だという自覚もはっきりありました。それに対して、もちろん怒りもありましたが、同時に滑稽で茶番的だとも感じていました。”分断”を作っているもの、それを助長するものは何なのか、その両者は実は紙一重であることを、切実に感じながら東京での表現生活を送っていました。

分断を分断として言葉で語るだけでなく、分かり合えないと思われるコミュニティに入りこみ、彼らの目を見て、話す言葉を聞くこと、それを表現に昇華することが、今回の認知症テーマで取った方法論なのです。認知症患者は、私たちとは全く異なる時間、空間、感性で生きています。排泄物を弄ぶこと、それにも彼らなりのロジックがあるのです。私は本作を、認知症患者になるべく寄り添ったもの、彼らの見ている世界を通して私たちの世界を再発見するようなものにしたいと強く思っていました。それは社会の様々な分断を和らげる態度の一つであろうと感じています。」

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『HIROs LIED』/photo by Dieter Hartwig

時代の変化のフロントラインに立ち試行錯誤をすることが、2020年代をサバイブする唯一の道

素人の私であっても『HIROs LIED』を観るべきと直感で思ったのは、こういった真相や背景があったからかもしれない。遠く離れた異国の劇場で観る日本の風景は、お金と時間さえあれば自由に行き来できていた時代を思い出させ、家族を想い、両親や自分の老いについて考えさせられ、改めてベルリンという街にいる意味を考えさせられた。同じようにベルリンに長年住みながら、コロナ禍でも止まることなく、勢力的に活動を続ける依里子さんのバイタリティーは一体どこから来るのだろうか?

前納 「パンデミックで状況が一変して以来やむなき自問自答の日々です。2020年は一切ライブ活動ができなくなり、予定していた新作もデジタル公開にせざるを得ませんでした。それでも得るものや学んだことも多くありましたが、私はやはりライブでしか得られない体験を作り出す専門家であることも同時に強く意識しました。同業者のほぼ全員が、やはりライブは他の何ものにも代え難いと語っていたのも印象的でした。

最近思うのは、ダンスも舞台も時代と共に進化する必要があるということです。それは迎合やトレンドに乗るではなく、時代の変化のフロントラインに個人として立ち、新たなツールも採用しながら試行錯誤をすることが、変化の激しい2020年代をサバイブする唯一の道だと感じています。そうでなければ、ダンスも舞台もどんどん陳腐化し、テクノロジーや大予算を投じたネットフリックスやゲームなどのデジタルカルチャーに負けるのは必至だと思うからです。デジタルカルチャーには提供できないダンスや舞台の価値は何なのか、私自身今後も試行錯誤を重ねて唯一無二のライブ時空間を作り出していくのが大きな課題です。」

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Photo by Menelaos Liondos

異国で活動する日本人としての苦悩とメリット

依里子さんは、社会問題や一個人における問題を取り上げ、コンテンポラリーという表現方法で、観る人たちへメッセージを送り続けている。現在の形になるまで相当の苦労があったと聞くが、異国で活動する一人の日本人としてメリット、デメリットについて聞かせてもらった。

前納 「移住後の最初の3年間は、言語だけでなく、妊娠・出産も伴い精神的に相当しんどい期間でした。ただ、アーティストとしては、日本では資金面や環境面から諦めざるを得なかったことにどんどんチャレンジできています。正直なところ、ドイツに来ていなかったら一生諦めるしかなかった表現が次々と実現できていることに私自身驚いています。なぜ日本では実現できなかったのかを考えるのはとても重要で、私の場合は一重に資金と環境です。日本ではまだ箔のない若手振付家に予算がつくことは非常に稀です。しかし、ベルリンではドイツでのキャリアゼロの外国人の私が助成金を獲得できるのです。日本ではそんなことが起こりえないでしょうし、それが多様性を担保する社会の在り方なのだと学びました。こちらの助成金選定プロセスでは、人種や経歴や容姿よりも、アイデアとコンセプト、実現できる可能性を最重要視しているのがよくわかります。

しかし、予算がつく以上コンプライアンスが強く求められるため、ダンサーや関係者への報酬、労働時間管理、契約書や権利規定などの仕事はとてつもなく増えます。これも日本とドイツの大きな違いですね。

資金がなくても表現活動はできますが、より踏み込んだスケールの表現をしたいと思うと、資金は欠かせませんし、ダンサーや役者の労働環境の向上にもつながります。日本でも、より多くのアイデアを持った若手に資金が回るような助成システムになることを心から願っています。」

ベルリンには、本当に多くの日本人が幅広い意味での”芸術”に携わり、活躍している。日本にいたら出会うことがなかったかもしれない誰かと出会う度に、新しい世界を知り、パッションから元気をもらい、それらが全て自分の生きる糧となっている。

Text by 宮沢香奈

宮沢香奈さんの記事はこちら