電気さえ通っていなかった巨大な廃墟はアーティストたちのDIY精神によって、ベルリンのインディペンデントアートカルチャーの最前線”Monopol”を作り上げた。その敷地内にある建物の地下にスタジオを構えるのが画家・本間亮次だ。

<ベルリン・アート・ウィーク>終了直後から、彼は作品を制作する傍ら、スタジオをビルドアップする日々を送っている。世界を舞台に活躍する気鋭のローカルアーティストたちに囲まれながら、唯一の日本人アーティストとして活動する今の心境、本間亮次という1人のアーティストのフィルター越しに見るベルリンのアート、日本のアート、そして、未来について語ってもらった。

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Interview:本間亮次

「画家としてではなく、アーティストとしての自分の役割があると思って活動しています。”Monopol”は自分が日本でやりたかった理想のプロジェクトで、それを実現させるためにベルリンにいるんですよね。」

インタビュアー:宮沢香奈(以下、Kana) 本間さんが画家として活動してきたこれまでの経緯を教えてもらえますか?

本間亮次(以下、Ryoji) 子供の頃から絵を描くのは好きでしたが、アーティスト活動として始めたのはグラフィティーからでした。23歳の時に本格的に絵で食べていこうと決めて、野獣派(フォーヴィズム)を継承する日本を代表する画家の故・山川茂氏に弟子入りしていて、2年間、静岡の山奥に篭ってひたすら絵を描く生活をしていました。師匠が絵画理論を教えてくれて、同じく画家である師匠の奥さんには、精神論を教えて頂きました。そこから、25歳の時に自分のスタジオを逗子に構えて、画家として独立した状態で本格的に活動を開始しました。

Kana それは、貴重な体験ですね。独立後に特に印象に残ったエキシビジョンや思い出深い作品はありますか?

Ryoji 独立後に一番思い出に残ってるのはエキシビションや作品というより、もはや生活の苦しさですね。(笑)
当時の僕は自身のスタジオを維持しながら生活する力がなかったので、スタジオの家賃を8ヶ月も滞納した時期がありました。必ず支払うと伝えた信頼ゼロの僕をオーナーが信じて待ってくれたり、街の飲食店の人たちや仲間が支えてくれた事は忘れられません。生計が立つようになってオーナーが僕と同じ気持ちで喜んでくれたのは嬉しかったです。

Kana 画家として生計を立てられることってごく一部の限られた人間に与えられた特権のようなものだと思ってしまいますが、そんな順調そうな日本の生活からベルリンへ移住しようと思ったきっかけは何だったんですか?

Ryoji 直感でした。この感覚はとても大事にしています。それまでにも、いろんな国に行って、スペインのアンダルシアやフランスに短期間住んでいたこともありますが、今はベルリンが一番おもしろそうだなと直感的に思ったんです。正直、僕は絵を描くだけだったら、どこで描こうとも、特に大きな影響はありません。むしろ、ベルリンに来た当初は、日本の方が良かったです。すでに自分のスタジオを持っていて、制作環境も落ち着いていましたから。ただ、いつか海外に出ることは心の中で決めていました。出るタイミングだと思った時に、ベルリンが一番魅力的だったんですよね。

Kana 実際住んでみてどうですか? 思った通り魅力的でしたか?

Ryoji 最初にベルリンに入った時はワーキングホリデーのビザを日本で取得してきたのですが、日本で個展の予定があったので、一度ドイツに入国してからすぐに帰国したんです。ただ、ベルリンに戻った時点でもうワーホリのビザ期間が半年しか残ってなかったので、まずは自分のアーティスト活動よりビザを延長することを優先する必要がありました。

でも、ドイツ語は出来ないし、英語も流暢に話せなかったので、何からやっていいのか全くわからない状態で。当時、ノイケルン地区に住んでいたんですが、アーティストとかクリエイターが溜まってる「arkaoda」や「sameheads」というバー兼クラブに毎日のように通って、いろんな人と話して情報収集したり、推薦状を書いてくれそうな人を探したりしていましたね。

Kana そんな経緯があったんですね。海外暮らしに苦労は付き物ですが、本間さんがベルリンへ移住してきた2年前は家賃が一番高騰していた時だし、都市開発で街がどんどん変わっている時でもありましたよね。

Ryoji そうですね、当時は楽しいとかおもしろいって感じる余裕はそんなになかったです。ウムラウ記号(主にドイツ語で利用される母音:ä、ö、ü)を見たのも初めてだったし(笑)。 とにかく、ビザだけでなく、家を探すことですら苦労しました。

Kana そんなアーティスト活動以外の大変なことを経ての“Monopol”との出会いがあるわけですが、そこにはどういった経緯があったんですか?

Ryoji ベルリンでずっとスタジオを探していたんですが、自分が理想としているイメージが明確にあったので妥協したくなかったんです。そんな時に友人のフラットメイトのチリ人アーティストを通じて“Monopol”の存在を知って、遊びに行ったのがきっかけですね。自分はラッキーだったと思っています。

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Ryoji Homma Studio at Monopol

Kana ラッキーだけではそうはいかないと思いますが(笑)。

Ryoji ラッキーとは言っても自分を表現できるZINEのような物は常に持ち歩いて生活していました。初めて、そのチリ人アーティストに会った時にもそれを渡したんですが、僕がMonopolに行く前にはすでにMonopolのアーティストたちにZINEを見せてくれていたんです。そこから「あの絵を描いてるやつだろ? おまえ、クールだな! で、どこで描きたいんだ?」となって、すぐにスタジオとなるスペースを用意してくれました。本当かわからないですが、今、Monopolにスタジオを構えたいというアーティストがベルリンに何百人も待っていると聞きました。そう聞くと確かに、街を歩けばアーティストに出会うこのベルリンで、ただ待っていてもチャンスなんか来るわけないですよね。

Kana この街は右も左もみんなアーティストですからね(笑)。でも、そういった中でチャンスを掴んでいく為には、受身ではなく草の根活動が大事で、会うべく人たちが引き寄せられて会う不思議な街だなとも思います。本間さんの場合は、日本で予定されていた個展がコロナによって延期になったと聞きましたし、ベルリンに残ったことが”Monopol”と出会うための引き寄せだったんじゃないでしょうか?

Ryoji 実は、日本にいた頃から“Monopol”みたいな場所を作りたいと思っていたんです。自分が思い描いていたインディペンデントアートカルチャーの形がまさにここでした。だから、2年掛かってしまったけれど、ここに辿り着くまでの毎日だったと思ってるし、特に焦りはないですね。自分が本当にやりたいことがようやく始まったといった感じです。

Kana まさに!! だったんですね。日本で“Monopol”を作りたいと思った理由はなんですか?

Ryoji 日本に“Monopol”のようなカルチャーを作ることは、アートカルチャーの未来に繋がると思っています。日本には個人レベルで本当に才能あるアーティストが山ほどいて、みんなレベルも高い。でも、日本のアートシーンに古くからあるダンディズムに支配されていて、本当にカッコイイことをやっているアーティストがメインストリームで活躍出来ない残念な現実があると感じていて。

カルチャーという意味では、日本は世界のアートシーンから比べると遅れを取っている部分があると思います。ギャラリーや百貨店のロイヤリティーや原価、スタジオの家賃を支払って日本の一般的な生活水準を満たす収入を作るためには、ざっくりですが年間1000万円近く売り上げをあげる必要がある。この基準って20代の若いアーティストにはかなり苦しいんです。この現実に打ちひしがれてリタイアしていってしまう才能もたくさんあって。そういう才能が生き残れる場所として“Monopol”を日本に作りたいと思っています。

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Ryoji Homma Studio at Monopol

Kana なるほど。音楽業界も同じような状況にあるかと思いますが、アートの世界もかなりシビアなんですね。日本のカルチャーの未来のためにも埋れてしまう才能や消えていってしまう才能は救っていきたいですよね。
”Monopol”を作りたいというビジョンはもう画家の枠を越えた活動家のようにも思えますが、本間さん自身はどう感じていますか?

Ryoji 僕は、絵を描くことで生計を立てているし、11年間画家としてやってきました。それと同時に、例えば僕から絵を切り離して考えた時にもその人自身に魅力があって、人に影響を与えられるようなアーティストになりたいって思ったんですよ。人にはそれぞれの役割があると思っていて、僕と会った人がその日に何を思って何を感じて別れていくのか、個展に来てくれたり、一緒に時間を過ごした友人が、帰る時に「自分も頑張るよ」って言ってくれる人が多くいるんです。
だから、人を元気づけたり、エネルギーを与えたりすることが自分にとっての、アーティストとしての役割かなと思ったんです。作品がすごい画家はこの世に五万といるし、魅力的なところがそれぞれにあると思うんですが、あれもこれもって欲張るんじゃなくてミニマムでいいので、自分の役割を、届けられる人に伝えていける生き方をしたいんですよね。

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Kana そういった意味では、私はまだ”自分の役割”には気付けてないかもしれませんが、アーティストの魅力が作品だけでなく、人物像や背景が影響しているのはすごく分かります。本間さんは人に与える役割を担っているわけですが、逆にベルリンやこの街に住む人たちから得ているものはありますか?

Ryoji ベルリンってバーカルチャーがすごくおもしろいと思うんですよ。みんな自分のお気に入りのバーがあって、そこでビールとか飲んでいて。売れているアーティストも無名のアーティストも同じお気に入りのバーで、同じ3ユーロのビールを。有名とか無名とか人をそういったブランドで見ていません。誰の紹介でもなく、ただ同じお気に入りのバーで出会って「ベルリンで何をしているんだ?」って話をして作品を見せあったりして気が合ったら一緒に何かを作って、それが異業種間で化学反応をおこして、まだ誰も想像したことない何かが生まれたりとかするんですよね。

Kana それはすごくよく分かります。クラブでの出会いもまさにそういった感じですよね。実はすごい有名なアーティストとかでも、全然媚びないし、偉そうにする人もいません。ベルリンの魅力の1つだと思っています。

Ryoji “Monopol”の話に戻りますが、彼らもみんなすごくフラットで、リスペクトする部分が多いです。もともとは、蒸留所の跡地でボロボロの廃墟で、電気も通っていない状態でとてもギャラリーとして機能できる状況ではなかった。でも、彼らは自分たちで電線を使って本来だったらありえない長さの延長ケーブルをつくって電気を引っ張って来たり、ハンマードリルでコンクリートに穴を開けて展示に必要な設備をどんどんインストールしていくんです。

もちろんライティングも全てかっこよくセットされている大きなギャラリーで展示できたら素晴らしいとは思います。でも、ボロボロの何もない廃墟に電気を通すところから始めて、自分たちで工事して作品に最も適した環境をどこにでも作り出すところも含めて作品だと思うと、すごく魅力的じゃないですか。そういうところから自在に作り込めるアーティストと、準備された場所でしか展示出来ないアーティストでは想像力の幅が変わってくると思うんですよ。

それにやっぱり会場の全てを自分たちの手で作っているリアリティに、インディペンデントカルチャーのかっこよさを感じますよね。“Monopol”はまるで生きている美術館のように日々成長しているんです。

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Ryoji Homma Studio at Monopol

Kana 私もベルリンに来て、ドイツ人だけに限らず、ベルリナーのDIYスキルには本当に驚いたし、カッコいいと思う点ですね。残念ながらアートウィーク期間中に“Monopolに行くことは出来なかったんですが、”生きている美術館”って感覚はすごく分かります。取材に行った時に衝撃を受けたし、会場に残された熱気を感じました。かなりの盛況だったと聞きましたが、アーティストとして初めて参加してどうでしたか?

Ryoji コロナの影響で来場者は完全予約制だったんですが、すぐに予約が埋まってしまうほどの人気でした。もっと多くの人に見て欲しいし、知って欲しいのもあって、今も友人や知人が訪れてくれています。
普段、レギュラーで毎日会うアーティストが15人くらいなんですけど、“Monopol”全体を解放しての展示だったので、あの規模を完成させるために50人くらいのクリエイターが携わっての展示は初めての経験だったので学びも多くありました。

Kana 今回展示した作品のテーマやコンセプトがあったら教えて下さい。

Ryoji テーマやコンセプトというよりはベルリンで受けた影響が作品にも反映されていると思います。世界中から人が集まるベルリンであるがゆえに、信念を持った活動家もたくさんいて。彼らと話しているうちにキャピタリズムやフェミニズム、レイシズムについて考える事も多くなりました。
新しい環境で心に変化があれば作品も自然と変わっていくと思うので、特に自分の中でテーマやコンセプトを無理強いすることはなく、完成した絵に今の自分が感じて、考えている事を説明してもらう事もありますね。

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Ryoji Homma / Berlin Art Week2020

Kana かなり多くのアーティストが作品を発表したと思いますが、空間使いもユニークだし、作品も個性的ですよね。スタジオをシェアしているMichał ANdrysiakさんもダークで独特な世界観ですね。

Ryoji 彼はポーランド出身のアーティストでもともとはファッションとかも撮っていたフォトグラファーでした。現在は絵だけではなく、<LiberNull>という音楽とパフォーマンスアートを組み合わせたイベントを主催していて、写真やビデオ素材を作成したり、光とビデオのインスタレーションも手掛けているアーティストです。“Monopol”のBASEMENTを2人でシェアしているのですが、お互い異なる世界観なので刺激もたくさんありますね。
Michalも油絵の具の扱い方を尋ねてきたり、逆に僕が知らない事を教えてくれたりするので作品についてお互い議論する時間も貴重な時間になっています。

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Michał ANdrysiak Studio at Monopol

Kana 他にもアートウィークにまつわるエピソードがあったら教えて下さい。

Ryoji アートウィークに向けて、会場の設営を3日間でやったんですが、毎日議論して自分の絵を飾る場所が決まっても、翌日の朝に来ると展示場所が変わったりする毎日で、アーティストたちみんながめちゃくちゃワガママを言うんですよ(笑)。でも、逆に言えば“Monopol”のアーティストがみんなプライドを持って向き合っていて、自分の作品を愛しているという事でもあるんですよね。

大きな会場に合わせて作品を作っていて、展示方法に関しても一切妥協をしていません。そういうアーティストたちと同じ空間で制作して、意見を交わせることには感謝や誇りを持っています。実際、アートウィークが始まると「今回のアートウィークで一番おもしろい会場は“Monopol”だった」という声もたくさんいただきました。まだまだ成長していくこの“生きた美術館”を多くの人に知ってもらいたいですね。

Kana ”Monopol”の今後も楽しみですが、日本での活動も予定されているんですよね?

Ryoji そうですね。コロナの状況にもよりますが、来年から日本に帰る機会を増やして、キャンセルになっていた個展も開催する予定です。来年は日本をキャンピングカーで周りながら、多くの人に出会っていきたいなと思っています。それこそ日本で一緒に“Monopol”を作っていけるアーティストと出会えたら嬉しいですね。

Text by Kana Miyazawa
Photo by Hinata Ishizawa

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本間亮次
神奈川県生まれ。
2005年よりストリートカルチャーシーンでグラフィティ、ライブペインティングの活動をスタートする。
2009年スペインのアンダルシアに単身渡航し制作活動をした後、野獣派絵画の巨匠 山川茂 画伯(当時85歳)と出会い師事、
山奥の山川のアトリエにて2年間外部との接触を断ち同じ屋根のもと生活を共にする。
同時期、山川が活動の拠点としていたフランスに渡航し、山川のルーツに触れながらの制作活動も行う。
その後、国内での個展開催や海外アートフェア出展など、活動の幅を広げる。
2012年に自身のスタジオを神奈川県逗子に構え、本格的に自身の制作活動をスタート。
2018年にベルリンに拠点を移し、2020年より「Monopol」の所属アーティストとして活動を継続中。