第103回 行方しれず

いつからなのか分からないが僕はお婆に育てられた。かすかにだけど父親も母親もいた記憶がある。でも物心ついたときからは、ずっとお婆と2人だけで生活していた。近所の製菓工場で朝から晩まで働いていたお婆は、売り物に出来ないパンやお菓子を持ち帰って来てくれて、それをほぼ毎日2人で食べた。訪ねてくる親戚や友人は誰一人いなかったけど、僕とお婆はたった2人で平和に暮らしていた。

今、目の前にはお婆の入った棺がある。僕は手を尽くしてどうにか連絡のついた親戚の到着を火葬場で待っている所だ。お婆とまともに話せたのはもう何年も前。「会社は忙しいか」「嫁さんはまだ来ねえのか」このお決まりの会話だった気がする。1番気になっていた両親や家族のことは結局聞けないままお婆は死んでしまった。昔からお婆はなんとなくその話を拒んでいた。今日初めて会う親戚から何か聞けるかも知れない、僕は緊張しつつも少し楽しみにしていた。

「この人知らない人です」「ごめんなさい、私も知りません」お婆の顔を見た親戚達はそう言い残し、怪訝な表情で足早に火葬場から去っていく。僕は突然の事態にしばらく言葉を失ってしまった。なぜ親戚でさえお婆がわからないんだ? まさかと思いお婆の顔を覗き込む。間違いない、やっぱりお婆だ。どうしたものかと立ち尽くしている職員さんに僕は「お願いします」と声をかけた。職員さんは無言で頷き、棺をゆっくりと奥に運んでいった。きっといくつも理由があって本当のお婆を知らない。でも他の誰でもない、あの人は僕をずっと大事に大事にしてくれたお婆だ。それで良いじゃないか。重い扉が閉まる音が室内に大きく響くと同時に、僕は自然と静かに目を閉じた。