第115回 写真には写らない

治安が悪い国に行けば行くほど、日本人に出会う確立は減っていく。僕はジャーナリストとしてそんな場所へわざわざ訪れるのだから仕方ないが、世界一治安の良い国に暮らしている人々にとって、危険な国に行く必要なんて確かにどこにも無い。住んでいる人全員が悪人なのではなく、そこに住むしかない人々がほとんどなのだけれど。
アフリカのとある荒れた都市を取材していた時のことだ。僕が乗った車が交差点で停まった時、勝手にフロントガラスを拭きに近づいて来た男に目を惹かれた。男は若いアジア人だった。この手の小銭稼ぎでも街のマフィアが仕切っていることが多いから、今までアジア人が窓拭きをする姿なんて一度も見たことが無かった。急いで窓を開け、君はどこから来たの?と聞くと面倒そうに「日本だよ」と流暢な日本語で答えてくれた。まさか。信じられない。僕でさえカバンで隠してカメラを回すような場所で、彼は毎日暮らしているのだ。
男性の髪が長いこと自体この辺りでは珍しいはずだ。彼が浮いた存在なのは容易に想像ができる。僕は小銭を探すフリをしながら、彼にどうしてこんなことをしてるのか聞いてみた。「動機はきっとあなたと一緒だと思う。でもカメラ越しでは感じることが少なすぎるから。気付いてると思うけど。それとあなたの雇った運転手には気をつけた方が良いですよ」そう言うと僕の手から小銭を奪い去っていった。
すぐに振り返ると、前を向いたままの運転手の黒い手が僕のバックの中に伸びていた。
あれから数年。彼が無事かどうかは知る由もないが、あの時の言葉がいつも頭から離れない。言われた通りだ。カメラには映らないことが多すぎる。今、僕は世界的な報道写真展の授賞式に出席している。声の高すぎる司会者が僕の名前を呼ぶのを待ちながら、僕はずっとそんなことを考えていた。
photo by normaratani