第123回 書きかけのスコアブック

初めて発作が出たのは高校1年生の時だ。走り込みと球拾いを繰り返していた最中に、息子は気を失って病院に運ばれた。近くの病院では原因がよく分からず、あまり無理せず野球を続けていたが半年後にまた倒れてしまった。今度は大学病院で精密検査を行い原因が判明した。息子は国内でも数人しかしない難病にかかっているということだった。入院は4ヶ月間にもなり、毎日の練習で鍛えた足腰はすっかり痩せてしまった。どうにか元の生活に戻ろうとしている息子が不憫でならない。

医者から運動全般を止められたのは退院の前日だった。遅れてしまったけど、早く皆に追いつこうと思っていた息子はその場で泣き崩れた。私は歩こうとしない息子を抱えて病室に戻った。布団を頭から被りずっと泣き続けている。夢を突然病気に奪われた息子にかける言葉があるだろうか。自宅での治療が始まっても息子は塞ぎ込んだまま。そんな時だった。2年生になったチームメイトがお見舞いにやって来てくれた。真っ黒に日焼けして体格も表情も逞しくなった彼らが持っていたのは、新品のスコアブックだった。

それから息子は寝る間も惜しんで野球のルールを勉強した。ベンチでスコアブックをつけ、チームメイトと一緒に真剣に自分たちの野球を見直す。見る見るうちに息子は目の輝きを取り戻した。県大会に出れるか出れないかの弱小チームでも、息子は試合に参加出来ることがとても嬉しそうだった。しかしどんなに気持ちが強くなっても、病気の進行が止まってくれることは無かった。

3年生の夏の大会が始まるころには車椅子になり、細かく書き込んでいたスコアブックも重くて持てなくなっていた。それでも息子は携帯でスコアを書き込んでいる。9回表で4点差。この試合がきっと高校生活最後の試合になるだろう。ベンチに戻って来るチームメイトに「諦めるな!」と何度も声をかける息子。その度に私はこみ上げる。なんだか私が息子に元気づけられているみたいだ。最後のバッターが初球を高く打ち上げた。その打球を見上げて息子は何か言った。聞き取れなかったがとても穏やかな横顔だ。息子の手から携帯が滑り落ちる。私が携帯を拾うと、そこに試合終了のゼロは書き込まれていなかった。