第130回 パズル

目覚めると男はもういなかった。平日の朝だし、仕事に行ったのだろう。名前を聞いた気がするけど思い出せない。汗ばんだ顔と力んだ手つきは憶えてる。まだ体がだるいけど、よく知らない人の部屋で2度寝をする気にはなれなくて私は仕方なく服を着た。部屋を見渡すと全てがきれいに整理整頓されている。彼が元々「女」だったのも頷ける。
カウンターで呑んでいた彼は、タバコの吸い方、お酒の呑み方、言葉遣いまで、何をするにも過剰に男をアピールしていた。私はそんな彼が可愛くてなんとなく見ていると「バーテンさん、マティーニを2つくれ。1つはあの女性に」と言って私を指差した。思わず私は吹き出した。そんなレトロなお誘いは映画の中だけだと思っていたから。笑われて不機嫌になった彼の横顔。まるで初デートの待ち合わせをしている高校球児の様だった。私は笑いを堪えながら彼の隣に移動して、何も言わずマティーニで乾杯した。
10年前、私は元々「男」だった。だから彼の気持ちが痛いほど良くわかる。私もまた女以上に女だったから。自分より少し大きい女をベッドに押し倒した時の彼の手のひらはまだ柔らかかった。感触がまだ肩に残っている。キッチンに入ると、テーブルに手作りのサンドイッチが置いてあった。一口サイズの卵サンドとハムサンド。まだまだ男になり切れていない彼がとても愛おしい。冷蔵庫には沢山の食材。さて、お返しに何を作ろうかな。
photo by mikan juice