第132回 彷徨う理由

今から50年ほど前「ゾンビは人を襲う」という迷信があった。だからゾンビが初めて街に現れた時は酷い扱いを受けた。見た目が気色悪く、言葉が通じない死人がノロノロと近づいて来るのだから恐怖を感じても仕方がない。でも今は違う。ゾンビは人間の生活にすっかり溶け込んだ。ゾンビが街を歩いていても誰も怖がらなくなった。彼らがゾンビになる理由が明らかになったからだ。

まだゾンビが拒絶されていた頃のこと。たまたま入った横道に消防服を着たゾンビが立っていた。セシルはそのゾンビが生き別れた夫だとすぐに気付いた。火災現場で亡くなった消防士の夫を思い出したからだ。セシルはすぐに携帯電話を取り出して映像を撮り始めた。あなたなのね、とセシルが問いかける。ゾンビは何も言わずに近づき、彼女を抱きしめ「愛してる」とだけ言って煙のように消えてしまった。この奇妙な映像はセシルのSNSから瞬く間に拡散され「愛する人に最後の言葉を伝えられなかった人がゾンビになる」と世界中に知れ渡った。

玄関を開けると目の前に一人のゾンビが立っていた。よく見ると変わり果てた姿の昔の恋人だった。確か僕と別れてすぐに死んでしまった陰気な女の子だ。少し驚いたけど、僕は彼女を優しく抱きしめ、目を閉じて愛の言葉を待った。彼女がゆっくり口を開く。「あなたを、許さない」しかし僕が人生の最後に聞いたのはそんな言葉だった。