第138回 ひとりごと
僕は別に監視員でも警備員でもない。海鮮を店先で焼いてお客さんを引き寄せるただのアルバイトだ。毎日ここに立っているから、岬に向かう人はみんな僕の前を通り過ぎる。近所に住んでいていつも犬と散歩しているお爺さん、恋人同士、明らかに不倫関係な男女、最近は中国や韓国からの観光客。本当に様々だ。そんな中、僕が気になるのはたった1人で岬に向かう人達だ。
1年にほんの数人、この岬を最後に行方が分からなくなる人がいる。だから僕は1人で下を向いて歩いていく人には必ず声をかける。焼きたてのイカどうですか、その靴だと階段疲れちゃいますね、もう夕陽には間に合わないかもね、とかそんな他愛も無い言葉で。するとほとんど全員が僕に驚き急いで引き返して行く。その姿を見て僕は勝手に安心している。
「お久しぶりです」まっすぐ僕に向かって歩いて来た青年が言った。去年僕が声をかけた青年だった。「あの時あなたに声をかけられた瞬間に死のうとしてる自分に気付いたんです。自分でも驚きました。今はもうすっかり元気です」彼の見違えるような明るい表情が嬉しかった。せっかく来たんだから、と僕たちは一緒に岬まで歩いた。僕がここから海に飛び込んだのはもう20年以上も前。あの頃から景色は何も変わらない。「あなたの分も生きます」彼はそう言って泣いてくれた。ありがとう、と僕は頷く。それから僕たちは並んだまま、沈む夕陽をしばらく眺めていた。
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