第186回 見えない自由
目薬のように漂白剤をさし始めて今日で1週間。この沁みる痛みには到底慣れることが出来ない。痛みに耐えながら2時間は目を閉じたままで過ごすことになる。でもこの痛みもそろそろ終わり。失明まではそう時間はかからないはずだ。この視界に彼女が戻って来ることはない。こんなの自分でも馬鹿だと思う。でも迷わなかった。
「娘が交通事故に巻き込まれて」彼女の母親から電話があった。「命には別条はない」と言う言葉にどこか引っかかりを感じながら、僕は救急病院に到着した。麻酔でまだ意識が戻らないまま集中治療室から出てきた彼女の顔には、包帯がぐるぐる巻きにされていた。とにかく助かってよかったです、近くにいた彼女の母親に声をかけると、母親は複雑な表情で首を横に振った。
「私が到着した時はまだあの子は意識があったの。顔がひどく傷ついてしまったってことは自分でも理解していたみたい。だからあなたには会いたくないって。あなただけには見てほしくないから絶対に病室に入れないでって言われたの。母親の私が言うことじゃないってわかってるけど、どうか他の子を見つけて。あの子をこれ以上傷つけたくないの。本当にごめんなさい」
彼女と世界で一番仲が良いのは僕だ。彼女のことは全部知ってる。だから彼女が本気でそう言ったってわかる。でも僕と世界で一番が良いのは彼女だ。彼女のいない生活なんて考えられない。今後彼女の顔を見なくたって死ぬまで忘れることなんてない。痛みが引いてきてそっと目を開けると、もう何も見えない。長い一週間だった。待ちきれない。これでやっと彼女に会いに行ける。
photo by normaratani