第66回 雨がいつか止むように
「あの事故で生きてたなんて本当に奇跡だよ。足を一本無くした程度で済んで良かったじゃないか」
彼と一緒にいた友人はそう言って私を慰める。確かにそうなのかもしれない。事故現場にはTVの中継が来るほどだったし、翌朝の新聞にも彼の事故の事は載っていた。私も、彼の家族も「命が助かっただけで良かった」と思っていた。でも彼にとっては違ったのだ。
搬送されてから3日後に彼の意識は戻った。麻酔で朦朧としながらも、心配そうに覗き込む私の顔を見て少し笑ってくれた。「足を切断した事はまだ伝えない方が良い」と主治医の先生に言われた通り、私達は足の事には触れないまま再会を喜んだ。荷物を取りに一旦家に戻ると言う彼の家族を見送り、私は一人病室に残った。彼はまたすぐに眠ったようだ。ひとまず意識が戻って安心した私は、彼の寝息を聞きながら病室で一緒に眠ってしまった。
いつの間にか薄暗くなった病室で目が覚めると、彼は息苦しそうに泣いていた。どうしたの? と声をかけると、足を指差しながら私を睨みつける。今まで見た事も無い形相に私は驚いた。「どうして教えてくれなかったんだ!」きっとそう言いたいのだ。でも口を激しくパクパクさせているのに声にはならない。すると今度はドアを指差しながら何か言おうとしている。口の動きから「出て行け!」と言っている事が分かり、少し怖くなってしまった私は急いで病室から出た。閉じたドアに向かって何か投げつけた音がする。私はどうしていいか分からず、ドアの前で立ち尽くしていた。そんな私を見て何かを察した看護士さんがすぐに主治医の先生を呼んでくれた。診断はショック性の失声症。声がいつ頃戻るかは分からないと言う。
事故から3ヶ月。リハビリを終えて彼は一緒に住んでいた部屋に戻って来た。梅雨のせいにしてあまり散歩にも行かず、たくましかった腕も痩せてしまったけど、やはり病院より落ち着くようで表情は随分明るかった。今は窓際のベッドで雨音を聞いている。あの横顔は間違いなく3ヶ月前のままだ。今日は御馳走作るけど何が食べたい?と聞くと、まっすぐ私を指差した。私は思わず吹き出した。彼も久しぶりに思いっきり笑っている。私は開いた冷蔵庫のドアを勢いよく閉め、彼の足の事なんて構わずにベッドに飛び込んだ。人間はとても強い。私も彼もそうなれる。きっと。