第67回 忘れないでいて
俺は昔、畜産の仕事をしていた。日本では豚肉人気が上がる一方で、どこの畜産業者も豚の飼育数を増やせるだけ増やしていた。狭い檻に入れられる豚達は更に増え、ギュウギュウになった檻の中で豚達は餌を奪い合っていた。はじめは酷い事をしていると自覚していたが、厚くなっていく給料袋を渡されるたびに罪悪感はいつの間にか無くなってしまった。言う事を聞かなければ蹴り飛ばし、病気がちな豚はさっさと処分していた。そんな俺が、急に暴れ出したメス豚に踏みつけられて死んでしまったのはある意味仕方ないのかもしれない。
最初の記憶は冷たくて固いコンクリート。そして産まれたばかりの俺が見たのは、生気の全くない母親の横顔だった。息子の俺をチラリとも見ずに、母親はまたどこか別の場所に連れて行かれてしまった。「ママ!」と呼ぶ間もなく、俺は首を強く掴まれ、狭い檻に放り投げられた。排泄物の臭いに意識が遠のく。でも俺は気付いている。これは現実だ。夢ではない。俺は豚に生まれ変わったんだ。
一ヶ月後、人間だった頃の記憶が段々と薄れて来た。早く全て忘れてしまいたいが、そうもいかないらしい。畜舎に勤めていた頃は、こんな不味い餌を食べ続けるのは人間には到底無理だと思っていたが、豚になっても無理だった。しかし餌を食べないで殴られるのはもっと嫌だった。口の中がパサパサになっても無理矢理胃の中に押し込む。豚達があんなに餌を食べ続けるのは馬鹿だからと思っていたがそうじゃない。頭が良くてこの状況に耐えられないからだ。俺も一秒でも早く出荷される事を願い、ただただ食べ続けて太り続けた。次に生まれ変わるなら何が良いだろう、そんな事を考えながら。