第74回 象の涙

「お願いがあります。象に乗るのは今日で最後にしてください」
前に座っていた象使いが唐突に僕たちに言った。決してふざけている訳ではないし、怒っている訳でもなさそうだ。かなりベテランに見えるその象使いは、僕の目を見て真摯に訴えかけてくる。彼女とはしゃぎながら象の背中に乗って、街を散策し、そろそろ目的地に到着する頃の出来事だった。一体どうしたんですか?と聞くと、彼はこの象たちの現実について小さい声で話してくれた。

「この象たちは小さい頃に家族の群れから連れ去られるんです。その後は反抗心を捨てさせるために、小さい檻に閉じ込められて長い間虐待されます。精神的にボロボロになった頃に檻から出されて、この仕事に就くんです。だからこの象たちはみんな身も心も傷だらけなんです。一見幸せそうなこの散策も、奴隷の行列と何も変わらない。私にはもう耐えられないんです。だから象に乗るのは今日で最後にしてください」

僕たちが象に乗るのは今日で最後だとしても、明日はまた違う誰かがこの象に乗る。また次の日も、その次の日も。何にも解決にならないじゃないか、そう思ったけど、彼の思い詰めた視線に返す言葉が無いまま、散策は目的地に到着した。

僕たちは象から降りて象たちを眺める。確かに体中傷だらけだ。古い傷の中に新しい傷もある。私達が乗っていた象も同じように傷だらけだった。それを見た彼女は我慢出来ずにその場で泣き出した。動物が大好きな彼女にとって、この現実は凄くショックだったのだろう。すると彼女の頬にそっと触れるものがある。それは僕たちを乗せてくれた象の鼻だった。
「あまり泣かないで」とでも言うように何度も彼女の頬に触れている。僕は、彼女を慰めている象の目にも涙が浮かんでいるのを見た。「涙は透明な血だ」と聞いたことがある。僕たちはお互いに血を流し続けるんだ。きっとこれからも。

写真提供:藤巻さん

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