第78回 私から私へ

40年後の私は知らない男の人と公園デートをしていた。白昼堂々と肩を寄せ合い甘い言葉を交わしている2人の距離感は、明らかに大人の関係を匂わせている。笑顔の素敵なあの男の人は背が高そうだから、私の趣味は変わっていないようだ。更によく見ると私の左手の薬指に指輪が無い。薬指以外の指は豪華な指輪だらけなのに。いつの日か夫とは別れる運命らしい。40年も経てばそれも仕方ないか。男の人が立ち去るのを待ってから、私は私に声をかけた。

「あら随分地味な格好をしてるわね、私ってそんな感じだったかしら。もう忘れちゃったわ。さっきの彼? 憶えてないの? 中学校の担任だった松本先生よ。去年同窓会で再会してからはよく会ってるわ。中学生の時は怖い印象だったけど、全然そんな事無いのよ。ただの女好きの甘えん坊。男なんて全員そんなもんだけど。40年前の私ってことは幸せに暮らしていた頃ね。とても素敵な人だったわ。これだけは言える。あの人以上の男なんていない。私が言ってるんだから間違いないでしょう?」

目が覚めると私は病院のベットの上だった。祖母が手をつないでくれている。運転していた夫がどうなったのか聞こうとしても酸素マスクでうまく話せない。意識が戻った私に気付いた祖母の表情が少し曇った。それを見てきっと夫は危ないんだろうと感じた。「生涯であなたが一番だったって私が言ってたって彼に伝えて!」私は酸素マスクの中から精一杯に叫んだ。どうにか聞き取ってくれた祖母は大きく頷き、すぐに病室から出て行った。その直後、耳元でビーッと止まらない電子音が鳴り響く。そうか。危ないのは私だったんだ。

写真提供:hirokawa yasushi