第83回 不安な犯罪者

「緊急停止致します」と船内放送が流れフェリーは止まってしまった。あと5分もすれば港に着くというのに。最初は静かに動き出すのを待っていた乗客達も、10分20分と時間が経つに連れて不安を口にするようになっている。嫌な予感がする。指名手配されてから5日が過ぎ、俺は少し油断していたのかもしれない。まさか東京からこんな離れた場所で発見されるなんて思ってもみなかった。恐る恐る窓から外を覗くと、やはり警察が港に集まっているのが見える。俺はどうにかして逃げられないか船内を調べることにした。

客室からデッキに出ると、寄り添う男女からすすり泣く声が聞こえる。最初は恋人との別れを惜しんでいるかのように見えたが、男が女にナイフを突きつけているのが見えて、俺はとっさに物陰に隠れた。「あの警官達を見ろ、もう逃げ切れない。こうなったら立て篭るしかない。お前が誰だか知らないが人質になってもらうぞ」ナイフを持った男は女に小声で凄んでいる。警察は俺の逮捕に来たんじゃないのか? 確かに俺一人にあんなに警察が集まるとは思えない。もしかしたらこの男の騒動に紛れて逃げられるかもしれない。そう考えていた時、フェリーは再び動き出した。

フェリーが港に着くと警察官が次から次へと船内に乗り込んで来た。乗客たちのどよめきが聞こえる。俺は物陰でうずくまったまま恐怖で動くことが出来なかった。ナイフを持った男もガタガタ震えている。とうとう警官がここまで来た。そして言った。「村上だな。」間違いなくそれは俺の名前だった。もう諦めるしかない。俺がゆっくりと立ち上がり「そうだ」と答えるのと、女にナイフを突きつけた男が振り返り「そうだ!」と答えるのが同時だった。「え?」とお互いを見合っている隙に、俺達は2人とも逮捕された。

「そんな馬鹿な話があるか」同じ監房の仲間たちは誰もこの話を信じない。無理もない。俺も未だに信じられないんだから。