第40回 ホットドックアンビシャス
高校2年の春から1年間、僕はアメリカに留学していた。市街地からは遠く離れた田舎の学校で、世界各地から留学生達が集まっていた。明らかに高価な服を着込んでいる資産家の息子や娘も多く、僕は少し気後れしつつ入学説明会を受けたのをよく憶えている。そこで僕と同じ様な小汚い服を着ていたのがハルクだった。鼻をすすりながら授業を受けていた僕に「なぜ鼻をかまないんだ、この教室の全員がそう思ってるぞ」と言いながら僕にハンカチを渡して来た。日本人は静かな場所では鼻をかまないんだよ、と言い返したら「そんなのクソッタレだ」と笑ってくれた。
それからハルクとはいつも一緒に遊ぶようになった。トルコから来ていた彼はすでに英語が上手で、英語講師のオリビエをガールフレンドにするのも早かった。「別に英語を勉強しに来たわけじゃない、人生で一度くらいイスラム以外の生活をしてみたかったんだ」と言っていた彼は、アメリカをとことん楽しむために、僕とオリビエを誘い週末によくニューヨークに出かけた。数ヶ月後には3人ともまたバラバラになると知っていたから、出来るだけ無邪気に遊んでいた気がする。別れが近づくうちに、ハルクとオリビエの喧嘩が増えてしまって、僕が度々2人の間を行ったり来たりする羽目になってしまったのは予想外だった。
あれから10年。数年前から途絶えていたハルクから突然「ニューヨークでホットドック屋を始めたから食いにこいよ」というメールが来た。彼はとうとう故郷を捨てたんだろうな、と僕は感じた。「寒空の下でホットドックなんて映画の1シーンみたいだな」とホットドックを食べるたびに嬉しそうに言っていたハルクの顔を思い出す。あの日々が少しずつ彼を変えてしまっていたのかもしれない。僕はメールは返さずにサプライズでニューヨークに会いにいく事に決めた。あの時3人で見つめたニューヨークにハルクのホットドック屋があるなんて。僕は今、やや興奮しながらオリビエが仕事から帰って来るのを待っている。