第55回 葉桜を探す理由

婚する前からだから、もう数十回も二人で一緒に桜を見ている。たとえ満開にはまだ遠くても、残業が続いている時でも、多少雨風が強くても、妻は必ず私を桜並木に連れ出した。彼女は決して花見をしたいわけではない。(どちらかというと花見は苦手なタイプだ)ただあなたと一緒に桜並木を歩きたいだけなの、と毎年のように言う。全く花というものに興味の無い私は、妻が桜に満足するまで酒を片手に辛抱強く付き合った。仕事柄、妻との約束は守れない事の方が多かったが、なぜかこの「一年に一度の桜並木デート」だけはどんなに機嫌や体調が悪くても開催してきた。半ば意地だったような気もする。でも今年は一人だ。今年からはずっと一人だ。

妻が亡くなったのは去年末。ガンの再発が見つかってからたった半年の命だった。俺が定年退職するまで頑張ればどんな散歩だって付き合うぞ、と話してみたが妻は待っていてくれなかった。「本当はもう一度桜を一緒に見たかったけど、たぶん無理だから話しておくね。あなたは絶対に気付いてないと思うけど、私が好きだったのは葉桜。勢い余って満開になってしまって、他の木が満開の時に葉桜になってしまうドジな桜が好き。そんな桜を見つけて、あなた何やってるのよって話しかけるのが好きだったの。だから来年、そんな桜を見つけたら私にゆっくり見せてね」妻がそんな事を言ったのは亡くなる前日の事だった。「だからお前はいつも歩き回ってたのか」と言うと妻は少し笑った。

「桜前線はあっという間に北上して行きます。関東は今週末がピークでしょう」テレビに言われるまで全く桜を意識していなかった私は、急いで近くの桜並木まで歩いた。早朝のためか人通りは少ない。一人で桜を見に来るなんて初めての事だったので少し助かった。もうすぐ満開の桜はとても綺麗なはずだったが、どうしても葉桜になりかけた木を探して歩いてしまう。妻が好きだと言っていた葉桜を見つけて、私はきっと話しかける。妻を真似して「何やってんだ」と言って、「でも妻はそんな君が好きだったんだ」と言って、「じゃあまた来年な」と言うだろう。