いま、ジャンルを越えて世界中から注目されるフラメンコ(※)・ギタリストがいるのをご存じだろうか? その人の名はカニサレス(1966年カタルーニャ生まれ)。
とりわけ大きな話題となったのは、2011年にサイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下、ベルリン・フィル)のコンサートに招かれてホアキン・ロドリーゴの“アランフェス協奏曲”を演奏したこと。カニサレスは持ち前の鋭敏なリズム感と鮮やかで官能的な音色によって、天下のオーケストラであるベルリン・フィルと白熱の名演を繰り広げたのである。
▼Cañizares –“Concierto de Aranjuez” – Europa Konzert 2011
カニサレスが特別なのは、本来楽譜に記すことのできない伝承芸術であるフラメンコの要素と、緻密な作曲・編曲・記譜の芸術であるクラシックの要素を、併せ持つ特殊な能力の持ち主であるところ。
フラメンコの巨匠パコ・デ・ルシア(1946年 – 2014年)のバンドで演奏することからキャリアをスタートさせたカニサレスは、ポップスやジャズのアーティストとも数々のコラボレーションを行い、さらに近頃は、19 – 20世紀のスペインにおけるクラシックの偉大な作曲家であるイサーク・アルベニス、エンリケ・グラナドス、マヌエル・デ・ファリャの作品をギターへと編曲し演奏したアルバムをリリースしてきた。
特に最新作であるマヌエル・デ・ファリャ(1876年 -1946年)の作品を編曲した3枚のアルバムは、フラメンコの源流にさかのぼるという意味でも、カニサレスにとって重要な意味を持つ傑作。ファリャのオーケストラやピアノの原曲に対し、カニサレスが行った編曲と演奏は、ギターならではの色気を加えたもので、その官能性は、妖艶といっていいくらいの境地に達している。
そんなカニサレスの9月来日公演を控え、フラメンコの伝統やクラシック音楽へのアプローチについて、メール・インタヴューを行った。
(※フラメンコとは、スペインの最南端で大西洋に面し、ジブラルタル海峡をはさんでアフリカ大陸と接するアンダルシア地方の伝統芸能である。)
Interview:カニサレス
フラメンコについて
ーー偉大なギタリスト、パコ・デ・ルシアが亡くなって1年がたちますが、彼からどんなことを学んだと思われますか。音楽面、人間性の二つの側面からお教えください。
ひとことでは言い表せないほどたくさんのことを学びました。今の私があるのは、マエストロのおかげといってもいいほどです。音楽的にパコはフラメンコに革命をもたらしました。ただ単に彼から学ぶだけでなく、納得がいけば彼は私の意見も取り入れてくれる程寛容でもありました。ある時、新しい曲を練習している時にパコと私の意見が対立したことがありました。あるメロディーに対して私が伴奏しようとしたコードと、パコが考えていたコードが違ったのです。対立といっても、ケンカしたという意味ではなく、お互いの考えをとことんまで突き止めることのできた貴重な経験でした。最終的に、パコは私の提案したコードで演奏させてくれました。
人間的にもとてもメンバー思いの人でした。この世界では、アーティストは一流ホテルに、メンバーは経費削減のために二流ホテルに宿泊することも多いのですが、10年間のツアーの中で、私たちが宿泊したのは常にパコと同じホテルでした。コンサートのあとの夕食でも、いつも彼や現地のプロモーター、主催者と一緒だったのを記憶しています。スタッフも含め私たちがいつも彼のそばに居られるよう、配慮してくれたのだと思います。メンバーとして受けたそうした扱いがとても嬉しく、また大切に思われていることが嬉しかったので、私は今それと同じことを自分のグループのメンバーにしています。
ーージャズやロックなどさまざまなジャンルのアーティストとコラボレーションするなかで、フラメンコだけの独自性というものをどう再認識しましたか?
ジャズや、ロックの一流アーティストと共演させてもらうことが出来たのは、私のキャリアにおいても、とても大きな経験でした。彼らのテクニックや演奏、音楽に対するフィロソフィーに触れることで、私の視野を広げることが出来ましたし、逆にフラメンコという音楽を客観的に見直すとてもいい機会になりました。これは、ちょうど自分の国を離れて外国に行ってみる、とそれまでは見えなかった自分の国の素晴らしさや、独自性が見えてくるのに似ています。
フラメンコの音楽の独自性は、やはりなんといっても音楽そのものが「言語」であるということです。演奏と同時に作曲している音楽は、私の知る限り他にありません。リズムパターンを基礎に、演奏者同士が会話を交わすように音楽が創られていく。それがフラメンコの魅力であり、他のジャンルとは大きく違うところでもあります。リズム感が大切なのは、言うまでもありません。
ーーあなたはファリャの音楽を研究しギターに置き換えることによって100年前のフラメンコに出会いました。それは現代のフラメンコとは何が違っていましたか?
これまで私が編曲を試みる中で研究し、追求したファリャの音楽から感じ取れる昔のフラメンコは、例えば使われるコードの種類や音楽の旋律という意味では、今のフラメンコ比べずっと単純だったように感じました。しかし不思議なことに、その巧みな使い方によって音楽そのものは非常に深く重厚な響きを持っているのです。
現代のフラメンコには、とかく複雑なリズムやコードを多用する傾向がありますが、こうした経験から、逆にシンプルなものでどのように深みを表現するか、という基本に立ち返ることが出来たように思えます。これからの私のフラメンコの作曲の新たな道しるべとなりそうです。
ーー日本人女性でフラメンコにあこがれ、フラメンコを学ぼうとする人はたくさんいます。彼女たちに教えるとしたら、どんなアドヴァイスをしますか?
フラメンコの基礎となる、リズム感覚をしっかり身につけて欲しいですね。踊り手もメトロノームを使ってリズムの練習をすることがさらに広がれば良いと思います。そうして培ったリズム感は、ミュージシャンとの対話の基本となります。
ーーフラメンコが未来も伝統を継承し、強く生き続けていくためには、何が必要でしょうか。
フラメンコが言語という観点からすると、我々の話す言語がそうであるように、やはりある種の「進化」を遂げていかなければいけないと思います。それでこそ、フラメンコが生きた芸術として後世に繋がっていくと思うのです。しかしその「進化」は、奇抜性や突飛性を追求するものだけであってはいけません。ある一歩を踏み出すたびに、伝統的なフラメンコに一度立ち返る必要があると思うのです。私の考える「進化」とは、別のジャンルとの安易な融合を目指すものではありません。伝統を踏まえた上で、その延長線上に新たな可能性を創造していくことにあります。もちろん、それば非常に難しいことです。私も模索しているところです。
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