――プラネタリウム公演もDE DE MOUSEさんの独特な活動のひとつですよね。
国外を探せばいると思いますが、国内でDJという名目の中ではあまりいないんじゃないかなと感じます。プラネタリウムの音楽やキキララのショーの音楽も、エレクトリックミュージックアーティスト、DJの活動。どれもこれもすべてが音楽家の自分の側面で、そのひとつを出しているだけなんです。プラネタリウム公演も回数を重ねていく中で人気のコンテンツになったけど、自分のやることが評価されるのに時間がかかるというのははじめからわかっていたから、あまり焦らないで活動していますね。
――キキララのショーやプラネタリウム、郊外のインナースペースをテーマにした音楽や活動など、DE DE MOUSEさんの独自の活動をきっかけにファンが新しい世界を見られるのは面白いし、嬉しいと感じるんじゃないでしょうか?
“ファンやリスナーに対して新しい世界をみせる”ということは以前より考えるようになったかもしれないですね。音楽でも音楽だけじゃなくても「こうゆうのもいいんじゃないかな?」って提示したいという気持ちもありますね。でも、やっぱりクラブで見る僕を想像してプラネタリウムに来たら姿も見えなくてガッカリする人もいるのも事実としてはあるけど、それも含めてDE DE MOUSEだなって応援してくれる人も増えてきてくれているがわかるので嬉しいですよ。
――2011年にプラネタリウムでパフォーマンスをはじめて、13年にはレギュラー、昨年からはシリーズ化され、最終公演はギネスで認定されているプラネタリウムでの公演でしたが、この活動を通じて得た感触などはありますか?
実は自分の中では毎回テーマがあって、効果音とかも含めてひとつの音の物語を作り上げているんですよね。それを聴いてくれた人たちがいろいろなことを想像してくれたらいいなって思っていて。ただ、自分の中で細かく決めている「今回のプラネタリウムセットはココからはじまって、こうゆう経緯があって最後にここにたどり着く。」というものは1回聴いて全部わかるような仕組みにはしていないんですよね。プラネタリウム公演は自分の好きなものをちゃんと提示できる場所だし、ファンの人も僕が提示するものを求めてきてくれていました。だけど、自分の中で考えた定義や経緯というものをどうやって、足を運んでくれる人たちへ提示していくのかが今後大切になってくる気がしていますね。だって、アーティストとしては「こうゆう意味があってこうしたんだ」って部分があって、それはちゃんと僕から提示してあげないと伝わりきらないことがたくさんあると思うんですよ。自分が見せたいものを説明するのがとても苦手な時期がありましたが、今の時代って1回聴いて終わりじゃなくて、そのもっと先にあるテーマに興味を持ってもらうには自分がしっかりと提示しないと伝わらない。だからこそ今はできるだけ自分の言葉で伝えていくし、きっとこれからもそうしていくと思います。
――その心境の変化が見えた時ってありましたか?
僕が提示する世界観を伝えたいっていうのが一番じゃないかと思います。あとは自身のレーベルを立ち上げて独立した頃に色々なシーンのイべントに出演した際に、僕ではなくてイべントのネームバリューで来ている人が多かったから、実験的に「ドープなことしてみるか」って試していて。その結果、気付いたら自分らしさが無くなっちゃったんですよね。もちろんそうゆう場所に出演して色々試すことができて、新しい自分の側面を見ることができたので、今後少しでも自分の幅を見せられたらいいなって思うようになったこともあります。それでサンリオのショーやプラネタリウム公演をやってみたら反響があり。コールアンドレスポンスがなくても、僕の姿が見えなくても、ストーリーさえあればお客さんに伝わるんだなあって思って。「なんでこんな場所でこんな音楽をするのか?」っていうストーリーがなかったら第三者にも伝わらないし、きっとお客さんも来ないとおもいます。「新しい自分の側面を見ること、見せること」という体系的なことを考えられるようになる重要なファクターになりましたね。
――特製USB『planet to planet access card』は公演ごとに曲がアップロードされるという面白い仕組みでしたね。
なかなか伝えるのは難しいですが「音楽がメインというよりかは、風景や感情、置かれているシチュエーション等いろいろなものに付随している音楽」という意味で作ったんですけど……可動型USBでやったというのは評判良かったです。実験するには良い媒体になりました。ここまでの話とつながっているかもしれませんが、昨年は自分の中で考えさせられることが多いと感じる一年だったんです。どこまで攻めて、どこまでついてきてくれるんだろうとか、ファンとの付き合い方について考えることができるようになったから、今回のリリースにもつながったんだと思います。
DE DE MOUSE -『planet to planet』 spot
――その今回のリリースにつながったというのは、今月から始まった怒涛の5作リリースラッシュのことでしょうか?
というわけではないです。ライブ用にアレンジしていたポップでわかりやすいバージョンが欲しいという声があったので、『milkyway drive』のリリースは当初から決まっていました。ここ数年は閉じられた箱庭の中で自分を構築するということに興味があったので、無理やり自分を変えてまで沢山の人を取り込むためことをあえてガンガンすることはしたくなかったんです。だけどなんだかそうゆう時代じゃなくなったのかなって考えるようになって、時期にまわりから『faraway girl』『to milkyway planet』はちゃんと流通したほうがいいって言われて、その声に耳を傾けて考えてみたら、やっぱりたくさんの人に聴いて貰うことも大切なんだなと感じるきっかけになりましたね。
――これも心境の変化・進化のひとつですね。
他にも『planet to planet』をリリースした時に、僕はこの作品を新作フルアルバムではない、プラネタリウム公演の為に作ったストーリーの”サントラという作品“として作り、あえて抽象的に暗めの曲を作ったんですよね。それはプラネタリウム公演を通じて提示したつもりだったのですが、ファンの方は僕の新作フルアルバムとしての捉えた人もいてようで、ガッカリさせてしまったかもしれません……。その時ファンと僕の考えにズレも感じたし、そこを明確に伝えきれなかったという想いがあって反省もありました。身近なスタッフであっても言葉で伝えても伝わらない時も沢山ある訳だし、コミュニケーションは本当に難しいなって考えさせられましたね。その反動があったから今回の『youth99』収録曲をリリースのためではなくて、ライブで伝えたいことの経緯や定義を提示していくように楽曲を作りはじめたんです。
――その反動から楽曲を作りはじめたことで『youth99』のリリースへとつながったんですね。
『youth99』の楽曲は最初はライブ用の楽曲だったし、リリースしてもシングルカットで考えているぐらいだったんですよね。そんな時に、昨年末のイべントでCHERRYBOY FUNCTIONと一緒になって『youth99』に収録されている1曲目と2曲目をライブでやったら「すごく恰好いい!」って言ってくれて。その時は「僕はリリースする必要はないと思うよ。」って返したんですが、「誰がなんといおうと出して欲しい。出したら俺は買うよ!」ってプッシュされたんですよね。じゃあバイナルで作りたいな~って思いはじめたのがスタート。スタッフに相談したら正直最初は反応が良くなかったんですけど、「〈not records〉3周年だし、これをきっかけにお祝いで立て続けにリリースしようよ。」という結論に至り、そこから話し合いを重ねて、『youth99』はEPでリリースにすることにしました。この時期になって『youth99』みたいに会場限定のようなものと『milkyway drive』という入りやすいものができた気がします。
――ファンとの付き合い方や周りの声からの心境の変化、そして反動からの曲の制作、さまざまな想いが重なった結果のひとつが、3周年の怒涛のリリースラッシュなんですね。個人的には『youth99』と『milkyway drive』両作品を聴いて極端というか、裏と表みたいな印象を受けました!
僕の中では『youth99』は僕の裏っていうわけじゃないんですよね。自分の中ではポップだし、青春時代に聴いていた音楽をオマージュするっていうテーマがあったから、90年代みたいな音作りをしている。
――10代の頃にアンダーグラウンドな音楽に傾倒していたことが伝わってきた気がします。
その中でもわかりやすいものばかりを選んで、ポップにしています。90年代、僕が高校生から東京に出て来た頃ってテクノがすごくブームで、「クラブ格好いい!」って、若者が音楽をクラブに聴きに行っていた時代だったんですよね。だけどそれと同時に、テクノの盛り上がりを皆と共有できなくて疎外感を感じていた人もいて。学校でも普段はクラスの端の方にいるようなタイプで、心の中では「俺はセンスあるぜ」って思っているような人。そうゆう人たちは踊るものから遠のいていったテクノ、当時でいうとエイフェックス・ツインとか〈ワープ・レコーズ〉のアーティストとかIDMだったり……90年代半ばとかにはアンビエント・ブームとかがあったりして、ベッドルーム・テクノっていう言葉もあったくらいリスニングに特化したシーンに傾倒していったんですよね。当時の僕の趣味もどちらかといえば後者のタイプ。だからその時に聴いていた音楽に対して自分の中で懐かしむ気持ちや、90年代当時にダサいと感じて穿った目で見ていたダンスミュージックの形をわかりやすく昇華させました。
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