優れたポップメイカーとして絶大な評価を受ける堂島孝平。彼はシンガーソングライターとしての活動を軸に置き、これまでに堂島孝平×GO-GO KING RECORDERS、堂島孝平楽団をはじめ、最近ではSMALL BOYS(西寺郷太[NONA REEVES]とのシンガソングライティングアイドル)にも挑み、コンセプトやスタイルが異なる様々なプロジェクトに積極的に取り組んできた。1995年に18歳でデビューして以来、繰り返してきた挑戦と発明。そんな自らの音楽の新しいアウトプットを常に模索する堂島が、いまメインとして活動しているプロジェクトが、A.C.E.(A Crazy Ensemble)である。
A.C.E.は堂島孝平を筆頭に、これまで彼の活動をサポートしてきたミュージシャンである小松シゲル(ドラム、NONA REEVES)と奥田健介(ギター、NONA REEVES)、鹿島達也(ベース)とともに、最新アップデート版「HARD CORE POP!」を鳴らす、盤石の布陣によるバンドだ。2012年3月にA.C.E.としてのファーストアルバム『A.C.E.』を発表し、そこから作品のリリースやコンスタントなライブを重ねることでアグレッシブな活動を継続し、来たる2013年1月23日(水)(なんとも美しい数列の西暦!)には、早くもセカンドアルバムとなる『A.C.E.2』がリリースされることとなった。そのリリースサイクルの速さからは彼ら4人の良きコンディションと信頼関係が垣間見え、作品としては、堂島の代名詞であるキャッチーかつポップな楽曲が立ち並ぶ。堂島節ともいえる日常の描写も健在だ。例えるならば、ロックンロールから音楽の門を叩き、そこで体験した得体の知れない初期衝動と、大人になるにつれて知ったソウルミュージックやAORといった洋楽のお洒落な旨味が凝縮された、リスナーとしてミュージシャンとして彼らが積み上げてきた、敬愛すべき音楽の集合体。堂島孝平とA.C.E.の面々による、最新型で真骨頂のエンターテイメントが炸裂している。
今回Qeticでは、堂島、小松、奥田、鹿島の4人による新春インタビューを行った。名うてのミュージシャンである彼らが、爽快かつ痛快な音楽を表現する背景に潜む確固たる決意。メラメラと灯がともる野心を、しっかりと目に焼き付けてほしい。
Interview:堂島孝平×A.C.E.(小松シゲル、奥田健介、鹿島達也)
――堂島さんの活動を時系列で追ってみて思うのですが、2012年はA.C.E.として顔を合わせる機会がかなり多かった年でしたよね。
堂島:そうですね。新年初顔合わせがこのインタビューっていう(笑)。
奥田:(笑)。去年1年間は1番会った人たちだと思いますね。
堂島:ほんと、しょっちゅうだよね。レコーディングをやるにしても、リハの日数は少ない方だと思うんですけど、それにしては会ってるということは、相当ライブかレコーディングをやってるっていうことだよね。
――去年は作品のリリース、ライブ出演において相当アグレッシブな活動ペースでしたが、ご自身としてはいかがでしたか?
堂島:かなり動物のように働きましたね(笑)。
奥田:ロックンロール・アニマル(笑)。
※ルー・リードのライブアルバム
堂島:ほんとに(笑)。ポップミュージック・アニマルでしたね。なんだか音楽の旨味みたいなものを巣に持ち帰っては雌しべに付け、それを受粉しながら色んなところに持って行く、そういうことを引っ切りなしにやっていました(笑)。たしかに一言でいうと「忙しい」なんですけど、自分の中ではすごく充実していたし、音楽を作りながら、発明とか発見とかを体験することが多かったので、そこが一番たまらなかった一年ですね。
――A.C.E.メンバーの三人はどうでしょう?
小松:リハーサルの回数は少ないけどよく会っていたっていうことは、本当に色々なことをやったんだろうなと思って。ツアー以外にフェスにもいっぱい出ましたし、2010年の暮れぐらいからA.C.E.が始まって、徐々にやっていったのが去年はフルでガチッと活動したなとは思いますね。アルバムもこの4人で2枚作りましたし、4人が流動的に動いている感じがすごく見えてくるようになったというか。
奥田:やっぱり去年で1番会った人たちかなという感じで、レコーディングの帰りも飯を食いに行ったり、「最近のプライベートはこんな感じで」みたいなその時の会話の全てがアルバムに繋がっているというか。堂島くんが1人で突き詰めていったところが多いんですけど、長い時間一緒にいたから、前のアルバム(『A.C.E.』)からの連続性がすごくありますね。
堂島:レコーディングに関しては前作も今作(『A.C.E.2』)も会ってる日数は変わらないと思うけど、前作を踏まえた上でツアーに出ているんだよね。
奥田:うん、それがデカいと思う。
鹿島:僕が感じているのは、ファーストの時はコンセプトを持とうというところから試行錯誤があって、色んな話し合いやせめぎ合いを経てキュッと作った感じがあるんですけど、セカンドは制作期間自体が長くて、ある曲とある曲を録った時期はすごく空いていたりするんですよ。例えば、僕ら(鹿島と小松)はリズムを録った後、出来上がりまでどうなるか分からないみたいな状況があって、いざ出来上がったCDを聞いて驚いたのが、意図的にやらなくても黙ってやれば自然といいものが出来上がるんだなということで。それは、よりバンドっぽくなったということだと思うんですよね。
堂島:うんうん。前作の場合は「この感じいいよね」というものを皆で確認しながら、短いスパンでパーンと録ったので、次は自分の中での手応えをどう持っていくか試行錯誤したというか。だから前作よりも今作の方が色んな意味で激変っぷりがひどいかもしれない(笑)。皆が演奏したものと違う音楽になっているっていう。
奥田:録った時期を忘れてたぐらいのスパンが空いてね。
鹿島:リズムセクションを録った記憶があって、出来上がったものを聴くと、「え、こっち?!」って思うことが多々あるんですよ。想定していたものと全く逆のものでもすごく良くなった感じがして、それがとても良かったですね。
堂島:録った日にその日思いついたことを全員がMAXでやるというのが基本としてあって、そこから後は引き算の美学なんです。要らないものは要らないというジャッジをしたり、僕がシンセなんかを後から足すので、狙ってテーマリフみたいなものを入れるとなると、今度は当たるものが出てきて、今度はそれを抜いていくというか。
――堂島さんを含めて、A.C.E.というプロジェクトの特徴をどう捉えていますか?
堂島:僕らの年齢というかキャリアというか、他の人たちと比べてはよく分からないけど、パフォーマンスとしてかなり動くんですよ。鹿島先輩は我々の年長者なんですけど。
鹿島:かなりね(笑)。最近は一緒になる若いシンガーのお父さんが同い年とか、自分より下とか、そういうことがありますからね。
※2013年で堂島37歳、奥田39歳、小松41歳に対して、鹿島51歳を迎える
堂島:あぁ、やっぱりくぐっていくんですね。最初は高校球児が自分より年下であることにショックを受け、それの極みがシンガーの親が自分より年下っていう(笑)。
鹿島:まあ慣れてきたけどね(笑)。
堂島:たしか名古屋のライブだったかな。本番が終わった後、楽屋に帰ってきて着替えながら、ふと鹿島さんが「明日、仕事が飛ばねえかな…」って言ったことがありましたよね(笑)。
小松:あった、あった(笑)。よっぽどお疲れだったみたいで。
鹿島:A.C.E.はスポーツクラブに入ったような感じなんですよ。忘れていたことを思い出した感覚というか(笑)。
堂島:「こう動いてくれ」とか振り付けを要求するわけではないんですけどね。
奥田:でも一部あったよね。
堂島:あぁ、コントみたいな寸劇があったね(笑)。前作に『A.C.E.』という曲があって、それを僕がカラオケで熱唱するんですけど、皆は後ろでつまらなさそうに見ていて。そのサビの終わりに全員でAとCとEの人文字を作って、お客さんがドーンとなると。ただ元々A.C.E.のメンバーに一緒にやろうと声を掛けさせてもらったのは、もちろんテクニックを頼りにしている部分はあるんですけど、大前提としては、人前に立つ人間としてかっこいい、面白いという部分があるんですよね。基本的に僕は、A.C.E.以前もそういう人たちと音楽作りをやっていなくて。