11回目の開催となった11月末の公演にも各国から魅力的なラインナップが揃った<Hostess Club Weekender(以下HCW)>。その初日のトップバッターとして初来日したドーニク(Dornik)は、一言でいえば、プリンスやマイケル・ジャクソンからの影響が感じられる作曲センスの持ち主だ。と同時に、彼はUKベース・ミュージック勢との親交も深いジェシー・ウェアと知り合ったことで、ディスクロージャーらを輩出した英〈PMR〉とレコード契約。これまでに書き溜めてきた楽曲を多数収録した自身の集大成とも言えるセルフタイトルのデビュー・アルバム『ドーニク』を10月にリリースした。音源ではネオソウルにも通じるスムースで洒脱な世界観を表現していたものの、<HCW>でのライヴは生バンドを従えた編成で、よりパワフル&エネルギッシュ!! そんな彼が音楽を始めてからアルバムを完成させるまでを、気さくな雰囲気で語ってくれた。

Dornik Album Sampler

Interview:Dornik

――小さい頃からずっと音楽が好きな子供だったみたいですね?

うん、小さい頃から口でリズムを口ずさんだりする子供だったんだ。当時父親はDJをやっていて、今もクワイアで歌ったりしているしね。それに母親も音楽が好きな人だから、昔からいつも音楽に囲まれていたし、とても賑やかな家庭だったと思うよ。

――では、最初に好きになった音楽というと?

マイケル・ジャクソンの『オフ・ザ・ウォール』。“ヒューマンネイチャー”(『スリラー』に収録)もすごく好きだった。他にもマーヴィン・ゲイの“アイ・ウォント・ユー”とか、“セクシャル・ヒーリング”とか……。プリンスももちろん大好きだったなぁ。“1999”や“サイン・オブ・ザ・タイムス”、そして“ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー”……沢山あり過ぎて選べないよ(笑)。

Michael Jackson – Human Nature

――(笑)中でもマイケル・ジャクソンやプリンスは、あなたの今の音楽にも大きな影響を与えているように思えます。彼らの音楽にどんな魅力を感じるでしょうか。

やっぱり、音楽家としての技量、そしてメロディだよね。僕は(ライヴ・)ミュージシャン出身だから、グルーヴがあって、そこにコードがきちっと乗っている、ということにこだわる人間なんだよ。そうすると自然にいいメロディが乗ってくると思うしね。そして最後に歌詞を考えるんだ。

――出身地のクロイドン(サウスロンドン)といえば00年代以降のUKベース・ミュージック発祥の地でもありますが、あの土地からの影響もあると思いますか?

うーん、たぶん(笑)。僕自身はそんなにクラブ・ミュージックの要素を意識しているつもりはないんだけど、“オン・マイ・マインド”辺りにはその要素が入っていると思う。今はクロイドンから少し離れた場所に住んでいるんだけど、確かにあそこは素晴らしい音楽が沢山生まれている街だと思う。

――ジェシー・ウェアと知り合ったのはどんなきっかけだったんですか? 彼女はサブトラクトらベース・ミュージック界隈の人々と一緒に人気を獲得していった人でもあります。

友達がジェシーのバンドでベースを弾いていたんだけど、その彼から「バンドのドラマーがいなくなるから、ドラムを叩ける人間が必要だ」という話をもらって、リハに行ったら気に入ってもらって、彼女のバンドでツアーを回ることになったんだ。だからキャリアとしては、最初はドラマーから始まったんだよね。教会でドラムを叩きはじめて、それからロンドン辺りでセッション・ドラマーの仕事をするようになった。そもそも、小さい頃に僕のいとこがドラムをやっていて、その影響で始めてみたんだ。だから家系なのかもしれないな。さっきも言ったように、その頃から僕はリズムを口ずさむのが好きだったからね。

――そこからソングライターになるというのは、なかなか大きな変化のように思えますね。

うん、実は11才ぐらいから何となく曲を書いたり、音を作って録音をしたりはしていたんだけど、15才ぐらいの時にちゃんとメロディを乗せるようになった。でもそれって家でこっそりやっていたっていうレベルで、自分ではずっと「人に聴かせるようなものではない」「これじゃ全然ダメだな」と思っていて。でもいとこに「ちゃんと人に聴かせてみろよ」って言われて、最初は無理やり人前に出したような感じだったんだ。だから自分にとっては結構急激な変化で、水の中に放り込まれて溺れる、みたいな感じだったよ(笑)。今思うと、それが逆によかったのかもしれないんだけどね。

――あなたの曲を聴いたジェシー・ウェアも何かを感じて、現在のレーベルとの橋渡しをしてくれました。彼女に初めて曲を聞かせた時の反応はどんなものだったんですか?

ドラマーとして彼女のツアーに参加することになったリハの2日目だったと思うんだけど、たまたま帰り道が同じ方向で、一緒に地下鉄に乗って帰っていたんだ。その時に、話の流れで「ドラム以外にも何かやるの?」と訊かれて、「実はプロデューサーとしても音を作っている」という話をして。そうしたら、彼女が「聴きたいから送ってよ」って言ってくれてね。それでデモを渡したんだけど、その後すぐに「すごくいいと思う」ってメールが返ってきたんだ。で、「歌っているのは誰なの?」って訊かれて、「僕だよ」って答えたら、「歌も出来るのね!」という話になった。そこから一緒に歌うようになったり、レーベルやマネージャーを紹介してくれたり……ということが一気に起こっていったんだ。

――はじまりは地下鉄での何気ない会話だったんですね(笑)。

そうそう、本当にそうなんだよ。そうして日本にも来ることになった(笑)。

――そこから、どんな風にデビュー作『ドーニク』の制作が始まっていったんでしょう?

家にこれまで録り溜めてきたインストの曲が沢山あったんだけど、その中から“サムシング・アバウト・ユー”をレーベルの人が気に入ってくれて、まずはそれをシングルとして出すことになった。その後アルバムを作りたかったんだけど、当時はまだジェシー・ウェアのバンドでの活動が続いていたから、ツアーが終わって、ジェシーのバンドを離れて、そしてアルバムの制作に取りかかったんだ。

プリンスやマイケルから影響!HCW出演、ドーニクにインタビュー interview151203_dornik_2

『ドーニク』ジャケット

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