――これだけ長くバンドをやっていると、「新しいものを作る」っていうことへのモチベーションが薄れていってしまうっていうことも一般的にはあるかと思うのですが、チック・チック・チックが新しいサウンドを常に追い求め続けることが出来るのは何故なんでしょうか?
まず、僕らがバンドをはじめた最初の原点にあったのが「新しいものをみつけること」にあったと思うんだ。所謂、ポスト・パンクっていうものの考え方がまだ「何かより凄いもの・新しいものを探す、そして同じ事を繰り返さない」っていう精神性を持っていた頃の話なんだけど。だから、ポスト・パンクっていうムーヴメントの第2波には凄くガッカリしたんだよね。だって、20年かそこらくらいに出たレコードと何も変わらない音を今のバンドがやってるんだもん。それは、僕らのゴールではなかったんだ。それよりは、もっと新しいものを見つけたかったんだよね。そういう志を常に持ち続けているからかな。
――今回の作品は曲毎に異なるダンス・ビートが用いられているので、「カラフルだ」とか「ヴァラエティに富んだ」と評されていることが多いのですが、それに対して、実は僕は正反対の意見を持っているんですよね。アルバムとして非常に統一がとれていて、一本筋が通った作品だと感じたのですが、ご自身ではどのようなアルバムだと思われますか?
どっちの意見もわかるな。僕らは、曲毎に本当に沢山の違うアプローチを試したから、そういう意味ではヴァラエティに富んでいると思う。でも、一本筋が通っているっていうのも確かにそうだと思う。今回のアルバムでは、可能な限り曲の余分な部分をそぎ落として、シンプルでダイレクトな表現にしたかった。だから、アルバムとして非常に整理整頓されたものになっているよね。ただ、曲のクレジットを読んでもらえばわかると思うんだけど、全ての曲が異なる作曲者同士の共作で作られている。そういう意味で、ヴァリエーションみたいなものは出たと思う。
――チック・チック・チックはディスコ・パンクと言われる様に、ダンス・ミュージックとパンク・ロックを最高の形でミックスしたバンドだと思うんですけど、今回のアルバム、非常にクラブ・ミュージック色が強いですね。どのような音楽に影響を受けました?
僕は、5年位前からクラブ・ミュージックしか聴かないんだ。シャックルトンとかフォーテットとか…。でも、あんまり今回のレコードに限って言うと影響を受けたって気はしないな。ただ、こういう類いの音楽って聴いてると、死ぬ程、楽しいんだよね。家でそれを聴いていると、気がついたらガンガン大きい音で鳴らしちゃって、子供みたいに音楽に合わせて飛び跳ねて、で、一人で聴くのに飽きたら友達を連れてきて、そいつらにも聴かせる、みたいな(笑)。そういう楽しさをレコードでも再現するのは凄く楽しかった。「この曲サイコーだろ?!」みたいなノリでね。それから、そういう音楽と僕らの音楽っていうものはあくまでも違うものだってきちんと気付く事が出来たのも重要なことだった。僕らはあくまでもロック・バンドだから、目指すべきものが違うんだ。
――なるほど。どのような違いがあるんですか?
僕らの曲の核にあるのは、やっぱりロックなんだ。殆どのクラブ・ミュージックの歌詞ってロック・ミュージックに比べると、あんまり重要視されていないっていうこともあると思うんだけど、僕らの曲にとっては凄く重要だしね。クラブ・ミュージックは、他の曲とミックス出来るように、イントロとアウトロがあって、7~8分ぐらいが普通だけど、僕らの音楽はiPodでも気軽に聴ける様なサイズだしね。
――なるほど。それでも本作には、キャッチーな歌詞のリフレインも目立つので、クラブ・ミュージックからの影響もかなり大きいかなと思ったんですが、いかがですか?
確かにそうだね。例えば“Slyde”って曲は、《Let’s go somewhere we can be alone》っていう歌詞を延々とリピートしているんだけどさ。こういう繰り返しって、超気持ちいいんだよ。だから曲を書く時は、いつもこういうちょっと笑える一節を書いて、メロディに合わせて歌って、ひとしきりイイ気分になってから、そこから曲を組み立て始めるんだ。でも、これってただ単純なだけじゃダメで、そこに物語がなけりゃ成立しないんだよね。クラブ・ミュージックの歌詞のシンプルさみたいなものは、そういう削ぎ落とされた歌詞の魅力みたいなものを教えてくれたと思う。
――サウンドに関しては、どのような影響を受けましたか?
音に関して言うと、例えば“Californiyeah”って曲には、ガタゴト揺れる電車みたいな規則的なテクノのグルーヴがあって、そこにジェイムス・ブラウン風のギターが乗っかってるんだよね。印象的なテクノっぽいシンセのフレーズが凄くクラブ・ミュージックだなぁと思う。