アフリカのキンシャサで、酒場で歌いながら女手ひとつで息子を育てあげてきた歌手、フェリシテ。彼女は誰にも頼らずタフに生きて来たが、息子の事故が彼女の人生を大きく変えていく。映画『わたしは、幸福(フェリシテ)』は、「幸福」という意味の名前を持ったひとりの女性をめぐる物語だ。息子の治療費をまかなうため、彼女はプライドをかなぐり捨てて奔走する。過酷な現実に打ちのめされながら、彼女が最後に見つけた幸福とは何だったのか。アフリカを代表するグループ、カサイ・オールスターズの音楽も魅力な本作を、いま注目のラッパー、あっこゴリラが鑑賞。“Back to the Jungle”のミュージック・ビデオ撮影で訪れたアフリカ、そして、自分と同じようにマイク一本で生きるフェリシテに対する想いを熱く語ってくれた。
Interview:あっこゴリラ
——映画、いかがでしたか。
最高に超良くて、ほんと「ありがとうございます!」って感じでしたね。私はラッパーで、マイクを生業にしてる人間だからこそ余計に響くというか。今、結構気づきが多い時期なんですけど、そのうちのひとつっていうか。「あ、このタイミングでこれが来たか」みたいな、それぐらい重要な映画でした。
——フェリシテの歌が胸に響いた?
響きましたね。最近、ヴォイトレに通ってるんですけど、これまでは「こんな声を出してみたい」とか思ったことなかったんですよ。自分がやりたいようにやってただけで。でも、70年代の黒人シンガーでベティ・デイヴィスっていう人のヴォーカルにヤラれてしまって。内臓からブワッて出るようなシャウトで、「この声はヤバい! こういう声が出せるようになりたい」って思ってヴォイトレの先生にそう言ったら、「黒人っていうのは筋肉とか骨格、リズム感っていう肉体面でのポテンシャルが全人類において一番ヤバいうえに、黒人差別に対する怒りを持っている。半端ないポテンシャルに怒りが乗っちゃったから、すごい声なんだよ」って言われたんです。だから、ベティ・デイヴィスみたいな声を出したいなら、身体を鍛えるだけじゃなく、ジャパニーズとしての魂をマイクに乗せるような生き方をしないといけないって。
——自分の生き様をマイクに乗せる。大変なことですね。
フェリシテって息子が怪我して、息子の手術代のため頑張るじゃないですか。自分が歌いたいから歌うんじゃなくて息子のために歌う。だから、歌にすごい乗っかってるんですよ、いろんなものが。守るっていう感情が、一番強く自分を奮い立たせられる気がするんですよね。自分のためじゃなく、人のために頑張る時に底知れないパワーが出る。だからこそ彼女の歌はソウルフルだし、本物のシンガーだって思いましたね。
——フェリシテを演じた女優のヴェロ・ツァンダ・ベヤさんは、カサイ・オールスターズのシンガー、ムアムブイさんから特訓を受けたそうです。
そうなんですか! この女優さんスゴいですね。「マイクにソウルが乗ってる!」って感じました。映画も超リアルというか、ドキュメンタリーみたい。わざとらしくドラマチックに盛り上げたりしないじゃないですか。ジリジリと絶望感が迫ってくる。カット割りとかも独特で、それがフェリシテに感情とリンクしていて、映画としての表現の仕方もスゴかったです。あと、現地の空気がリアルに伝わってきたのにも驚きましたね。
——そういえば、あっこさんはミュージック・ビデオの撮影でアフリカに行かれたんですよね。
ルワンダとエチオピアに行ったんですけど、ルワンダがこの映画の感じに近かったですね。(土地の人達は)一見、ぶっきらぼうなんだけど、こっちが困ってたりすると優しかったりする。ビデオで使う旗を作ることになった時、みんなが「どうしたの?」ってわらわら集まってきて、ぱーっと一緒に作ってくれたんです。まあ、その後、「お金!」っていう話になるんですけどね(笑)。
(映画の中で)街中たくさんの人が歩いていて、みんなカラフルな服を着ているとことかを観て、ルワンダに行った時の記憶が甦ってきました。「あ、この匂い。この感覚だ!」って。海外旅行に行った時って、独特の匂いとか感覚があるんですよ。日本にいる時は忘れてるんですけど。「映画で(アフリカにいた時と)同じ感覚を味わえるんだ」ってビックリしましたね。それはやっぱり、この映画の演出がすごいからなんだと思います。
あっこゴリラ「Back to the Jungle」
——観光地を紹介するポストカードみたいな映画もありますけど、この映画は現地の空気が真空パックされていますよね。ちなみにあっこさんは、ルワンダで現地のミュージシャンのライブを観たりはしなかったんですか?
クラブに行ったんですけど、クラブって金持ちがいっぱいいて、こういう(フェリシテが歌っている店のような)雰囲気ではなかったですね。なんかギラギラしてて。
——向こうでは貧富の格差がスゴいらしいですね。そんななかで、フェリシテは夫と別れて歌で生きていくことにした。それって、相当な決意だったんでしょうね。
決意っていうか、せざるを得なかったんじゃないですか。何かを始める時ってそういう感じがしますね。
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