――他にも収録曲の中で、原曲との思い出やトリビュートの際に工夫したことなどについて、印象に残っている曲をいくつか挙げてもらうことは出来ますか?
そうだな……(と盤面のトラックリストを見ながら)まずは1曲目の“グッド・モーニング・ハートエイク”だね。この曲にはどこかミステリアスな魅力があって、実際にビリーが歌っているものを聴くと、恐さを感じる瞬間がある。失恋して傷ついて、朝目覚めた時に、目の前に暗黒の闇が広がっているような――とてつもない絶望が、まるで現実にあるかのように感じられるんだ。でもこの曲って、色々哀しいことがあるけれど、最後には「現実として受け止めよう」という曲で、もしこれが小説ならそこから続いていく物語があるわけだよね。つまり、ただ傷ついているだけではなくて、もっと深い意味のある曲なんだよ。そういう感情があるからこそ、今回の作品に絶対に入れたいと思った。この曲は一番最初に録音したんだけど、バンドとは曲のアレンジやガイドラインを全く共有せずに、感情に導かれるまま演奏したよ。それこそ、マイルス・デイヴィス的な方法でね。キーが低いから、そのキーの上の部分をかすかに歌うような感じで少し歌いにくかったけど、この曲の疲れた哀しい雰囲気を出すには、それが逆によかったのかもしれない。
Billie Holiday – “Good Morning Heartache”
あとは、“ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド”と“奇妙な果実”も外せない。僕は、「この2曲がなければビリー・ホリデイのトリビュートにはならない」と思うんだ。逆に言えば、この2曲を聴けばビリー・ホリデイが分かる。というのも、“ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド”に関して言うと、これはビリー・ホリデイのことを知らなくても、曲自体を知っている人が沢山いる楽曲だからね。実際にはジャズではなくてゴスペル・ソングだし、ビリー・ホリデイ自体もジャズというよりブルースの人だと思うけど、僕にはこの曲自体が、彼女の哲学を物語っているように感じられるんだ。彼女がこの曲を書いたのはお母さんと喧嘩した後のことで、いわゆる10代の娘が母親に対して「何で分かってくれないの?」と感じる気持ちを歌ってる。それってみんなが経験していることでもあるから、万人が共感できる曲なのかもしれないね。
Billie Holiday – “God Bless The Child”(1955)
――9曲目の“奇妙な果実”についてはどうですか。この曲ではヴォーカルを多重ループしたシンプルなアレンジが、とても生々しい剥き出しの雰囲気を生んでいます。
今回の収録曲って、1曲目から8曲目まではロマンティックに聴こうと思えば聴ける曲ばかりだと思うんだ。恋人とディナーをしながらでも、愛し合いながらでもいいんだけれど、ムードのあるジャズ・アルバムとして聴けるものになっていると思う。でもこの最後の“奇妙な果実”だけは、本当にシリアスなアレンジになった。実際、この曲を歌うというのは、ビリー・ホリデイにとっても自分の人生を賭けたものだったわけだよね(アメリカの人種差別を告発する歌で、黒人差別が横行していた当時この歌を歌うのは危険なことだった。にもかかわらず、ビリー・ホリデイはライヴの最後で頻繁にこの曲を歌い、後の公民権運動にも繋がっていく)。ジャズの世界でこういう勇気のある行動をした人というのはそれまでにいなかったし、今でもいないと思う。この曲を出したために、彼女はFBIの要注意人物になってしまった。でもそれはアーティストとして、人間として、自分が大切だと思う人を大事にした結果だったんだ。そういう思いが表われている曲だから、これをやらなければ彼女のトリビュート・アルバムにはならないと思ったんだよ。
Billie Holiday – “Strange fruit”