――今回はドン・ウォズがプロデュースを担当しています。彼は〈ブルーノート〉の社長就任以来、ロバート・グラスパーを筆頭にした様々なジャンルを横断する新しいジャズの流れを推し進めてきた重要人物ですが、今回の作品にはどんな魅力を与えてくれたのでしょうか。
まず、「彼がその場にいてくれた」ということ自体が大きかった。『ノー・ビギニング・ノー・エンド』に(プロデューサーとして)ピノ・パラディーノが参加してくれた時もそうだけど、彼らのようなキャリアのある人がいてくれることは、彼らの経験や歴史そのものをスタジオに持ち込んでくれるのと同じことだからね。そこにいるミュージシャンもエンジニアも、全力以上のものを出そうと頑張ってくれる。それに、もともとドン・ウォズって、とてもみんなを気楽にさせてくれる人なんだ。だから彼が、制作中の雰囲気をよくすることにとても気を遣ってくれて、みんなが寛いで制作に向かえたことも感謝しているんだ。
もちろん、プロデューサーとして、録り終わった後すぐに「これでいいと思う」と判断してくれることや、このままの雰囲気で作業を進めていくにはどこで休めばいいか、続けるべきかということをきちんと判断してくれたことも助かった。アーティストって人に「こうしよう」と言われることを嫌う人が多いけど、ドン・ウォズだからこそ、彼の言うことは聞こうと思えるしね(笑)。たとえば今回使われている“月光のいたずら”のテイクは、僕らはリハーサルだと思ってやっていたものだったんだよ。ところが彼が「これはこのまま録ってしまおう」と言い出して、最終的にそれが使われてる。自分がプロデューサーならそんなこと絶対にしないけど、作品になったものを聴いてみると、「ああ、それでよかったんだ」って実感出来たね。“奇妙な果実”の場合も、この曲の録音自体は自分1人でやったけれど、編集作業やテクニックの部分で彼に凄く助けてもらった。この曲はどうしても感情的になってしまう曲だからこそ、その感情の部分を差し置いて、第三者の目で客観的に見てくれる人が必要だったんだ。そういう意味でも彼の判断にはとても助けられたし、僕ら全員がそういった彼の判断を信頼していたよ。