Interview:Kandace Springs
――あなたは小さい頃、どんな子供だったんですか。
すごくおてんばな子供だったと思う(笑)。木登りをしたり、公園に行ったり……とにかくいつも外で遊んでいたし、ふざけたりすることも好きな子供だったわ。
――そんな性格のあなたが音楽を好きになったのは、やはりお父さんの影響?
そうね。私の父はアフリカン・アメリカンで、ずっと地元でソウル・ミュージックを歌って生計を立ててくれた。そんな父の影響でニーナ・シモンを聴くようになって、父親にノラ・ジョーンズのファースト・アルバム『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』をもらった時、年齢的にも近い女性がピアノを弾きながら歌っていることに感銘を受けたわ。それで「私も弾き語りがしたい」とずっと憧れてきたのよ。
Norah Jones – Don’t Know Why
――その『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』との出会いについて、詳しく教えてください。
もともと10歳の頃からピアノをやっていたんだけど、その当時、私はまだ歌を歌っていなかった。でも13~14歳にノラ・ジョーンズのアルバムをもらった時、父親に「こんな風に弾き語りをしている子もいるんだよ。お前のステージを奪われているぞ」って言われて(笑)。それで「私も歌わなきゃ!」と思ったのを覚えてる。特にアルバムのラストに入っていたジャズ・スタンダードの“The Nearness of You”が気に入って、それでジャズやソウルを勉強するようになった。初めて人前で歌ったのは、地元ナッシュヴィルで子供たちがステージで歌うイベント<キッズ・オン・ステージ>だったわ。そこでみんなから大きな拍手をもらった時に、「私はこれをずっとやっていきたい」と思ったのよ。
――ナッシュヴィルはアメリカ屈指の音楽都市のひとつですが、あの地で育ったことは、自分のキャリアにも影響を与えたと思いますか?
ナッシュヴィルは演奏するためのライブハウスも多いし、プレイヤーもたくさんいる。10代の中頃から後半にかけて『ライターズ・ナイト』というシンガー・ソングライターが集まるイベントに出演してキャリアを積むことも出来たしね。その少し後に、レーベルの人たちと会うことになった。ナッシュヴィルは日々の生活と音楽との距離が近い街だと思う。ずっと音楽を演奏している長年の友達もいるし、父も何年間もミュージシャンをやっていて。「ずっとここに住んで、ここで生活したい」と思わせてくれる場所なんじゃないかな。私はニューヨークにもLAにも住んでいたけれど、ナッシュヴィルはやっぱり私の故郷ね。
――デビューを目指していた頃は、色々と大変なこともあったんじゃないですか?
突出したものになるためには努力が必要だから、なかなか世に出られない時期には、もう諦めようと思ったこともあった。でもそのたびに、周りの人たちが「君には才能があるから、絶対に続けなさい」って言ってくれて。それで今こうして憧れのノラ・ジョーンズと同じ〈ブルーノート〉と契約することが出来たんだから、一生懸命やればやるほど、それは自分の力になるってことだよね。
――あなたにとって〈ブルーノート〉と契約できたことは、相当嬉しかったでしょうね。
本当に。自分の中では今でも「ワァーオ!!」と大騒ぎしているんだけど、歌っているときは静かにしているわ(笑)。私って普段はおちゃらけた性格で、歌っているときだけは静かになるのよね。〈ブルーノート〉と契約してから、ノラ・ジョーンズにも数回会うことができた。彼女のブルックリンでのショウの後にバックステージで会ったり、マンハッタンのダウンタウンで一緒にランチをしたりして。彼女は本当に謙虚で、それにすごく面白い人。音楽の話をしたのはほんの少しで、普段の生活の話をしていたわ。
――〈ブルーノート〉はジャズの超名門でありながら、同時に昨今の新しいジャズの流れも積極的にサポートする気鋭のレーベルとしての側面も持ち合わせていますね。
その一部になれたことにすごく感謝しているわ。私自身もピュアなジャズ・アーティストではないから、ジャズの裾野を広げてみたいし、普段は聴かない人にもジャズを楽しんでもらえたら嬉しいと思う。ノラ・ジョーンズもまさにそういう存在。他にも私が好きなシャーデーやアデルもそうで、クロスオーヴァー的な音楽にはとても共感するのよ。
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