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コリアン・アメリカン・ラッパー。そしてシンガー、レーベル・オーナー、DJ、ビートメイカー、プロデューサーとして活躍するケロ・ワン。彼は2003年、リリースのノウハウも持たず、自身の独学により家庭用レコーディング機材と自分のクレジット・カードだけを頼りに自ら立ち上げたレーベル、〈Plug Label〉から12インチをプレスし、リリース。2005年にはファーストアルバム『ウインドミルズ・オブ・ザ・ソウル』をリリースし、楽器の演奏から、ラップ、サウンド・エンジニアリングに至るまで全てを自身で担当。収録された楽曲たちは、現在でもアンダーグラウンドヒップホップのクラシックとなっている。

その後も『アーリー・ビリーバーズ』(09年)、『キネティック・ワールド』(10年)、『カラー・セオリー』(12年)などのアルバムをリリースしてきたが、常に良き意味で期待を裏切り続け、ジャジー、ソウルフル、メインストリーム、サウス。キャッチーでメロウ、時にポップにジャンルレスなヒップホップのスタイルの広さを見せつけ、どの角度からも新たにリスナーを惹きつけ続けてきた。

そして、ファーストアルバムのリリースから10年となる今年、初のベスト盤となる『ミュージカル・ジャーニー・ザ・ベスト・オブ・ケロ・ワン』、そしてケロ・ウノ名義で初のプロデュースアルバム『リフレクション・エターナル』を同時リリース。今回はDIYで、インディペンデントなこれまでの活動を振り返り、このタイミングでベストアルバムをリリースしたこと、そしてリリースを期とした新しいプロジェクトの始動。昨今のヒップホップシーンについて、これもまた、オリジナリティあるケロ・ワン節で語ってもらった。

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『ミュージカル・ジャーニー・ザ・ベスト・オブ・ケロ・ワン』ジャケット

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『リフレクション・エターナル』ジャケット

Interview:KERO ONE

――常にオリジナリティ溢れるスタイルを展開し続けているケロ・ワンさんですが、楽曲制作はいつ頃からはじめたのでしょうか?

大体15年くらい前で2000年にはじめました。

――制作を重ねていく中で「リリースしよう!」 そう明確に意識を持ち出したきっかけはありますか。

13歳くらいからDJをはじめていて、常に自分のレコードを作りたいと思っていましたが、2003年にその夢が叶いました。日本のアンダーグラウンド・シーンで有名になったことはもっと大きな夢となりました。

――その2003年にリリースした“Check The Blueprints”や“Keep It Alive!”などの楽曲は、アンダーグラウンドヒップホップのクラシックとなりましたね。さらに2005年にはファーストアルバム『ウインドミルズ・オブ・ザ・ソウル』をリリースし、Remix誌で年間ベスト・ヒップホップ・アルバム選出や、iTunesのヒップホップ・チャートの上位に登場。活動も世界各国でツアーを行うなどワールドワイドに広がっていきましたが、当時の自身の中で心境の変化などはありましたか?

当時はアート・カレッジでウェブ・デザイナーの仕事をしていましたが、アルバムがリリースされた直後にその仕事を辞めて、フルタイムで音楽に専念することができるようになりました。情熱を注げば夢は叶うし、友達もサポートしてくれるのだと実感しましたね。

――当時のリスナーはケロ・ワンさんに対して「ジャジーなヒップホップ」。といったイメージを強く持っていたかもしれませんが、2009年に発表した『アーリー・ビリーバーズ』では、キャッチーでメロウ、POP……どの角度からもリスナーを惹き付けるものへと楽曲が昇華されたと感じます。さらには、ベン・ウェストビーチ、トゥオモなどなどのミュージシャンも参加し、作詞家、作曲家、ヴォーカリスト、そして編曲者としてマルチな才能を大いに発揮していますね。このようにファーストとセカンドには大きな変化を感じましたが、この間に音楽家としての意識や制作面でどのような変化があったのでしょうか。

もしジャズからの影響がなかったとしたら、私の音楽はソウルフルなグルーヴや格好いいビートに影響されてきたのでは? そう思っています。初期からのファンはジャジーなヒップホップで私を知ってくれたので、ビジネスやブランディングの観点からすれば、ジャジーなヒップホップを作り続けた方がいいと感じていました。それでも私は、ビジネス面を気にするのはやめて、自分自身が考えるアーティストになりたいと思っていたんです。常に自分に影響をあたえるような音楽を制作しようと心がけていたので、私の好きなアーティストと一緒に活動をして、自身の作曲のスキルを高めて、新たな制作技術を学んだりしました。私は一度作った音楽と同じような音楽は作りたくなかったんです。

Kero One – When the Sunshine Comes

――大きな期待の中、リリースされた『キネティック・ワールド』は、US iTunesチャートで3位を獲得と成果を出しましたが、音楽面でもジャジー、ソウルフル、メインストリーム、サウス……ジャンルレスなヒップホップのスタイルが垣間見えた作品だったと感じます。ケロ・ワンさんの世界観、視野の広さ、アイデアはどこから生まれてくるものなのでしょうか。

その頃は韓国のトップ・ヒップホップ・グループの一つであるエピック・ハイとたくさん仕事をしていて、リリースは彼らとの世界ツアーが終わった頃でした。エピック・ハイは多くのストーリーを語るような曲の作り方を熟知していましたし、ストーリーを語る楽曲制作は私の改善したかった部分でもあったので、彼らとのツアーの経験によって、よりよい曲が書けるようになったと思います。またこの頃には、ジャジーなヒップホップだけではなくて、色々なタイプのヒップホップに注目するようになりましたね。例えばサウスのヒップホップは全くの別物でしたが、未来の音楽を先取りしていました。私自身も、遊びながらそういう音楽を作ってみたいと思うようになっていた時期だったので、多くの私のファンは驚いたと思いますけどね(笑)。

Kero One – On Bended Knee – Music Video

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Mako Masaya

Mako Masaya

ライター

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