––––ケルト、アイリッシュというキーワードが出てきましたけど、例えばどんな固有名詞が挙げられますか。
もちろんシガー・ロスとかは好きですけど、それ以上に好きなのはカナダのミュージシャンなんです。ニール・ヤングとかトレイシー・チャップマンとか。事務所の社長がもともとカナダに住んでいたことがあって、アレックスルカシェブスキーとかザ・ウェザー・ステーションとか、結構コアなミュージシャンの作品を貸してもらったのも大きいですね。カナダは移民の国なので、ロシア系とかいろんな人たちがいるんですよ。音楽もぐちゃぐちゃになっていて、それがすごく面白い。カナダのミュージシャンが来日したときは何箇所か一緒にライブをやっていますね。彼らはアレンジが素晴らしいので、とても勉強になりました。ギターの使い方でもシガー・ロスのボウイング奏法みたいに、ギターのように使わないですし。今作でいうと、例えば“風の輪郭”のイントロでキーッと鳴っている音は、アップライトベースにディレイをかけていますね。
––––アルバムの最初を“砂上のワルツ〜overture〜”、最後を“砂上のワルツ〜curtain call〜”という形式的な構成にした理由は?
いろいろなオマージュを盛り込んでいて。僕はザ・バンドの『ラストワルツ』という映画が大好きで、ザ・バンドがワルツを演奏している映像で始まって終わるんです。それを引用しているというのがありますね。“砂上のワルツ”は3曲目“砂粒の記憶”の三拍子バージョンなんです。僕は三拍子が得意でワルツがすごく好きなので、曲の半分が三拍子なんですよ。だから四拍子の曲でも三拍子にすると、こんなふうに印象が変わるというところも聴かせたかったというか。アルバム全体としては、アコギをほとんど使っていないのにフォークに感じさせるのを狙っていました。
––––フォークといえばアコギを連想しますけど、真っ当なフォークにしなかったのはなぜでしょう。
アコギをメインに使うのは別の機会でもいいかなと。僕はアコギ一本で岩手から出てきた自分のことを、もともとフォークミュージシャンだと思っていて。こういう言い方をするとアレですけど、バンドを辞めてソロを始めてアコギの音源を出す人たちがいますけど、あまり響かないと場合が多いというか。活動のサイズで音を決めている感じがすごくするんです。ソロになったから弾き語りのアコースティック曲を出すのではなくて、自分はあくまでも曲でアレンジを考えるべき。自分のなかで7曲目の“太陽”は、民謡やワールドミュージックに通じることをやってみたかった曲ですね。いわゆるインディーロックとはかけ離れて、アコギはバッキングで少し入れるくらいに抑えて、エレキのガットギターにディレイを入れています。
––––フォークは列記としたジャンルだけど、捉え方によっては古臭い音楽だと敬遠してしまっている人もいると思います。特に若い世代の人たちは。
ボブ・ディランの弾き語りはすごくロックでパンクだし、そういうのを知ってもらいたいですよね。僕は弾き語りを軽視されるのがすごく嫌なんです。僕はバンドのときからソロも同時進行でやっていましたし、弾き語りが一番すごいと思っています。以前、「今度はバンドで対バンしようね」ってよく言われましたけど、「そもそもソロで表現を見せられないとダメでしょう?」と思ってしまうんですよ。そういった違和感みたいなものがすごくありました。なので、フォークはいなたいと感じている人に、どうにかして友部正人さん、たまの知久寿焼さんとかの良さを伝えたい。実際に生で見た人たちは感動しますからね。本当に完璧なんですよ、ギターから歌まで。
––––フォークとは何なのかを見てほしいから、逆にフォークと付けたかったという気持ちもありますか。
ありますね。でも、バンドをやっていた頃は自分の下地にフォークがあることをどこかで認めたくない部分がありました。小さい頃にボブ・ディランとかを聴かされて、「なんだ、この鼻声のオヤジ?」と思っていましたし、ボブ・ディランの良さを知ったのは20歳過ぎてからで。“ライク・ア・ローリング・ストーン”の訳詞を読んだときに、衝撃を受けて、「あぁ、詩人なんだな」と気付いてからは印象がガラッと変わりました。
Bob Dylan -“Like A Rolling Stone”