玉県は入間市出身のシンガーソングライター、前野健太。その独特な歌詞やキャッチーなメロディが世代を問わず多くの人々を虜にし、その勢いは最近では目に見えるほどになってきている。最新の例としては、今年元旦には渋谷WWWにて<~オレとオマエの孤独なぼんのう~>と題し開催された怒涛の108曲ライヴは即ソールドアウト、当日定番曲から即興ソングまで約6時間半という長丁場で108曲(+アンコール3曲)を歌い切り、年明け早々その評判は広まっていった。

また、音楽業界だけでなく、2009年には松江哲明監督によるライブドキュメント映画『ライブテープ』の主演として出演し、<第22回東京国際映画祭>の「日本映画・ある視点部門」にて作品賞を受賞。2011年にも同監督の新作『トーキョードリフター』にも再び主演として出演、映画界でも確実に前野健太の名は浸透しつつある。さらに言うと、昨年2012年にはauのCMにも出演してお茶の間デビューも果たし、さらなるファン層も獲得。

そのくるくるパーマ+サングラスという印象的なルックスも相まり、音楽以外でも各方面からラブ・コールが絶えない前野健太だが、来る1月23日(水)に4枚目となる待望の新作『オレらは肉の歩く朝』をリリースする! 前3作がセルフ・プロデュースだったのに対して本作はジム・オルークがプロデュースした事も話題となっているが、2月にはレコーディング中に結成されたという前野健太とソープランダーズ(ジム・オルーク、石橋英子、須藤俊明)としてNHK『ライブビート』にて出演することも急遽決定。本作のリリースによりさらなる飛躍を遂げることは間違いない。

そんな前野健太がQeticに遂に登場! 新作『オレらは肉の歩く朝』についてや、今回初登場ということから、前野健太の最大の魅力の1つである「詩」にフォーカスを当てたインタビューを行った!

Interview:前野健太

――まず、新作を通して聴くと、最後の“女を買いに行こう”では妙な余韻をもたせていると感じたのですが、今回の曲順は前野さんが決めたのでしょうか?

この曲順はプロデューサーのジム・オルークさんが決めたので、僕もあの曲を最後に入れたのには本当にびっくりしましたし、あり得ないと思いましたね。笑。「これはちょっと無いんじゃないすか」っていうのをジムさんに言ったんですけど、「これは良いだね~。それではさよなら~という感じで最後ちょっと音を小さめで」って。。僕はさよならできないよ、と。曲順に関して僕もアイディアはありましたが、それは僕のライヴのやり方や今までのアルバムの時と同じような流れで構成していくのに対して、ジムさんには一本の映画のように考え描いている流れがあるので、そっちの方が違う景色が見れるんだろうな、という事でジムさんの強い希望もあり採用。だから“女を買いに行こう”は僕の希望で最後になったわけではないです。僕は最後にピシッと終わらせたいのですが、ジムさんは最後に崩してくるんですよね、ガタガタガタガタと。僕は最後にあの曲が流れると本当に落ち込みますね(笑)。ジムさんの好きな映画とかが反映されてるんじゃないかな。ファニーさもあるけど、ちょっと不安さを残したかったんじゃないかな。

――今までセルフ・プロデュースでしたが、本作でジムさんがプロデュースになったことで曲順以外の部分で他にも変わった点はありますか?

ジムさんの録った音は素晴らしいですし、アレンジもものすごく変わりましたね。彼は多分音のすごさというもの――音楽の魔法を信じているんですよね。最終的にミックスが終った音は音圧を下げていてとても小さいんですよ。コップ一杯がCDのマックスの音だとしたら、普通ギリギリまで入れて音がより大きく聴こえるようにしているのですが、それに対して彼の場合はコップの4分の3ぐらい。でもその分、大きく鳴らした時に音がふくよかになるんですよね。他の音楽はじっとしていても音が自分に向かってくるんですけど、本作は音圧を下げている分、自分の耳がスーっと音の方へ行くんですよ。だから耳が音に段々集中していくので面白い。そうすると楽器の音やグルーヴが生々しく響いてくるというか。ジムさんは多分それを目指したかったんじゃないかなと思いますし、それは今までセルフ・プロデュースでやってきたこととはまるっきり違う真逆のことでしたね。だから、YouTubeやパソコンで聴くと音圧はすごく小さいと思うんですけど、CDを通して聴いてもらえると、どうしてそういう風にしたかが分かってもらえると思うし、僕はすごく上品な音だなって思います。僕自身は美しくないけど、僕が音で迫りたかった美しさがいつもより美しく響いてくれているんじゃないかな。その美しさをジムさんはすごくあぶり出してくれたんじゃないかと思い、すごく興奮しました。

あと、レコーディングの段階からジムさん、石橋英子さん、須藤俊明さんと僕の4人で演奏していく曲が多くて、その時ジムさんが「ソープ革命だ!ソープ革命!」と言っていて。そこでみんなけっこう楽器を変えて、石橋さんドラムやったり。石橋さんドラムとピアノ、ヘンダーローズ。須藤さんもドラム、ベース。ジムさんベース、ギターとか。もう本当にごちゃごちゃに変わっていって興奮しましたね、曲がその場でどんどん変わっていくんでそれはもう本当に面白かったです。メンバーの構成でもツアーでもそういう風になるんじゃないかと思ってますし、ライヴは相当ファンキーになると思います。

――それは是非生で観てみたいです! さて、ライヴについてですが、マエケンさんのライヴでは、深みが出てくるところはさらにディープに、攻めてくるところはさらにアグレッシブに届いているように感じていて、CDをライヴで再現されるにあたって特に意識される部分はどういうところなんでしょうか。

CDは作品で、ライヴはその作品を壊す作業だと思っているんですよ。CDやレコードにすることは歌を一回殺す作業だとも思っていて、というのは、成仏させないと僕の中にどんどん歌が溜まっていっちゃうので、一回一回殺して、それを綺麗にして出してあげる。作品にして成仏させて、そうするとまた新しい歌が生まれてくる。ライヴではそれをまた蘇らせて暴れさせるというか。

――では、元旦に開催された108曲ライヴでは、眠っていた曲を蘇らせまくったって感じですかね?

あれはまた新しい試みでしたね。12月30日と31日で新曲を多分15曲くらい作りましたね。持ち歩いているノートで新しいやつだと“君とスカイプ”とか“コンビニブルース”などがありますが、その中でも歌にならないものがあります。それで歌にならなかったものは葬られてこの中に残っていく。今回はそれを救出して、意地で無理矢理曲にしました。短い曲を作ってその場でやったんですけど、1日。でも完璧に構成できていないものだったのでちょっと恥ずかしかったですね。

――その、歌になるものとならないものの違いはなんでしょうか?

自分の感情になり過ぎていないか、ちゃんと誰かの感情っぽいかのバランスがすごく重要ですね。

――誰かの感情であると同時に自分の言葉という「これだ」という詩ができる時って具体的にどういうことですか?

ちょっとよそ者っぽく見えた時かもしれないですね。僕の感情そのものではなくて、僕の感情で見た景色を描けているかどうかが重要。そこで僕の感情で見ている景色を、ちゃんと言葉を配置して丁寧に描けば、苦しいとか言わなくてもその感情が伝わるし、それは誰かの感情っぽくなる。誰もが知っている言葉をちゃんと工夫して置きかえられるか、組み替えられるかというのは、それが詩が破壊力を持てる由縁でもある。たとえば「コップを今日はいっぱい食べたよ」とかいうと良く分からない不思議な感覚があるじゃないですか。コップ・食べるって誰でも知ってる言葉だし、「いやー今日はカフェオレの上をすごい気持ちよく滑ってさ」とか、詩にはそういうジャンプ力がある。詩での言葉遊びや、空耳で聴こえたものと見たものの違いとか色々できて、無限に遊べるし深いし、こんな面白いジャンルは無いと思います。でも、僕は詩よりも音楽が好きで、そこで一緒に詩もやりたい、で、一番良いのがシンガ―ソングライターだったっていうことでした。誰もが知っている簡単な言葉でちゃんと美しいものまで迫れるか、やりたかったんです。

★さらにディープなインタビュー、まだまだ続く!
>>次のページを読む!!