去年3月、全曲オリジナルトラックからなる『ODD FOOT WORKS』をシェアし、早耳リスナーやアーティストの耳目を集め、夏には<FUJI ROCK FESTIVAL ’17>のROOKIE A GO-GOのステージを踏み、8月にはペトロールズのカバーEP『WHERE,WHO,WHAT IS PETROLZ?? –EP』に参加。年末には初主催イベントを開催。この度の1stフルアルバム『odd foot works』リリースのインフォメーションは、もはや2018年注目のヒップホップ・グループという括りを超えて、今、この時代のリアルなポップネスを求める音楽好きにとって、相当な期待値を持って迎えられた。
すでに初ライブからちょうど1年後にあたる5月3日(木)のワンマン<TOKYO INV.SPECIAL-1 year after that->も完売。新作に収録されている“NDW”がテレビ東京系『モヤモヤさまぁ〜ず2』EDでオンエアされるなど、凄まじいスピードで注目を集める踊Foot Works(以下、オドフット)。
今回は新作はもちろん4人の佇まいや関係、そして彼らのレーベル〈Q2 Records(以下、Q2)〉が、ライター三宅正一氏が設立したという、シーンの中でも稀有なケースであることについて、三宅氏本人も取材に同席してもらい話を訊いた。多忙なライター業と兼業してまでフックアップしたかったオドフットの魅力が見えてくるはずだ。
Interview 三宅正一 × 踊Foot Works
——今回、ライターである三宅さんがなぜレーベルをやろうとしたのかもお聞きしたくて。
三宅正一(以下、三宅) 基本的にはあんまりメンバーと一緒に露出しないほうがいいなとは思ってて。ライターとしてレーベルを出すっていうので一個バイアスがかかって音楽的な先入観がつかなきゃいいなって懸念はしてるところではあるんですけど、それも含めてどこかでそういう思いを言わせていただく機会があればいいなと思っていたんです。
——是非そこをお聞きしたいです。Q2を立ち上げる前に、まずイベントに彼らを呼んで。出会いの経緯はどんな感じだったんですか?
三宅 まず津野米咲(赤い公園)からメールが来て、「踊Foot Worksっていうすごくポップなんだけど、めちゃめちゃいろんな音楽的な要素のツボを突いてくるバンドが現れて、フリーダウンロードでアルバムを出すから。で、私のラジオで流そうと思ってるんだけど、どう思う?」みたいな感じで、音源のリンクを送ってくれたんですけど、それが気に入って。割とすぐ彼らのSNSのバンドアカウントに「アルバム素晴らしかったです。
今度、5月3日に下北沢GARAGEってライブハウスでやるイベントに出てくれませんか?」と。ちなみに僕、それまで彼らがライブをやったことないっていうのも知らなかったんですよ。で、どういう感じでライブをやってるんですか?っていうことを送ったらfanamo’から「実はライブをやったことがなくて、ちょうどどうしようかってメンバーと話してたところです」って返事がきて、そのイベントに出てもらったんですね。
——展開が早いですね。
三宅 それは僕が仲間とやってる<PACHINKO>ってイベントのパイロット版だったんですけど、そこに出てもらったら、初ライブとは思えないぐらいちゃんとお客さんをロックする力もあって、楽曲の良さも伝えるのがうまくて、それも感動しました。割とライブ見終わってその場で、一緒に新しいことやりたいって脊髄反射的に言ってたというか(笑)。
——その機会がなかったらライブはまだ先のつもりだったんですか?
fanamo’ ライブするつもりは一切なくて。リリースから5日後とかに三宅さんから連絡がすぐきて、「えー?どうする?」つって。
Tondenhey あの盤(『ODD FOOT WORKS』)出したからといって、そこからのビジョンが明確にあったわけじゃなくて。普通に就活もしてたし。遊びで作って「よかったら聴いてください」ぐらいフリーダムなマインドだったんですよ。そこから5日後だったんで、もうちょい、例えば4月、5月に入ってみんなが聴いてくれて「いいね」ってなったら、そろそろ夏ぐらいにライブを考えるかぐらいの適当な気持ちだったんですけど、いい意味で早かったのはよかったですね。ケツ叩いてくれないとみんなダラダラしちゃうとこあると思うし。
三宅 不思議と初ライブなんですけど、メジャーのレコード会社の方たちが何社かどこからか嗅ぎつけて見にきてらして、すごいなと。それだけ音楽の求心力があらかじめあったんだなっていうのは、そういうところでも気づいて。でもなんか……ジェラシーっていうか、どこかのレーベルに持ってかれたらやだなみたいなことは最初に思いました(笑)。
——(笑)。今三宅さんがレーベルをやっているのはオドフットがいるからですよね?
三宅 間違いないですね。ただ、下北沢GARAGEが僕の遊び場になったのが5年前ぐらいなんですけど、そこからイベントをやるようになって、そこでいろんなバンドとかと繋がってくうちに、うっすらと妄想で「そういうことがいつかできたらいいな」みたいなのは考えてたとこはあったかもしれないですね。
でも誰かと一緒にやりたいとか強く思ったことはなくて、結果的に今は、彼らのマネージャーでもあるけど、マネージメントなんて自分に一番向いてないと思ってました。ほんとにすごいマネージャーさんって身を粉にしてその人たちをフックアップするという精神も含めて献身的だし。でも彼らと会った時、直感でなんか一緒にやりたいっていう、なかなか言語化しにくいんですけど、ありましたね。
——それはマネージャーを続ける云々とかレーベル運営がというよりも、変な出し方をしたくなかったんでは?
三宅 あー……。そういう思いはあったかもしれない。「守りたい」みたいな(笑)。なんか変な父性本能みたいなのは働いた部分はあったかもしんないですね。
Tondenhey 三宅さんに抱きしめられたんです、俺(笑)。結構いいライブできたなつって、GARAGEの階段降りたら、青い髪の人がきて、「めっちゃよかったよ!」って抱きしめてくれて。
——だって資料一つとってみても、他のレーベルに渡したくない感じがすごい出てますもん(笑)。
三宅 (笑)。やっぱそこで愛情って出るんですよね。あと、リスナーとしてもそうだし、仕事として関わってきたミュージシャンたちもそうなんですけど、割と雑多な相手とインタビュアーとして向き合ってきて、ラッパーもいればバンドもいて、どポップスの人もいるし、インディーからそれこそ椎名(林檎)さんみたいな日本を代表するような人まで仕事をさせていただいてる中で、ほんとに自分の音楽的な好みを全部満たしてくれたというか。
fanamo’ へー!
——バンドとしては三宅さんから声をかけられるまで、中長期のビジョンはあったんですか?
Tondenhey 本来、fanamo’さんがマネージャーやるっていう。
fanamo’ そう。一回、国分寺か国立に事務所借りようとか言ってて。
Tondenhey もう事務所の社長になる気でいたよね。プレイヤーじゃなくて。「Pecori、明日ラジオ何時からだから早く寝なよ」みたいな。
一同 (爆笑)。
Tondenhey みたいな、おままごとをしてました。
fanamo’ そうそう。実際今はそれに近いことができてきてて嬉しい。
三宅 僕もライターを続けながらこういう立場になったってことにすごく意味があると思ってて。それは最初からメンバーにも話してたんですけど、ライターとして出会った人たちに彼らを紹介したり、そこから何かが生まれる可能性はすごく大きいと思っていて、レーベルの一つのテーマでもあるんです。で、僕もライターの仕事を続けてるので、完全100%で彼らのマネージメントに徹せられてるか? というとそうじゃないので、そこはfanamo’くんにサポートしてもらいつつですね。