メンバー全員、フルタイムの仕事を持つ「週末バンド」、toconoma(トコノマ)。2008年の結成から、10年を経て3枚のフル・アルバムなどをリリース、今夏、ついに<FUJI ROCK FESTIVAL>(以下、フジロック)のフィールド・オヴ・ヘブンにも出演を果たし、働く同世代には仲間を祝うような気分も大いにあったはず。インストバンドという、言葉や国境の壁を越える表現で、その場にいるオーディエンスを巻き込みパワーも実証してくれた。

続けたいと思えばいつまでも音楽を続けたい、生活の中に音楽があるタイプのミュージシャンが、今、バンド専業から、仕事もバンドも楽しみながら自己表現として並行する生き方が増えている。

そこで、結成10周年を迎え、まさにそんな生き方を実現してきたtoconomaのメンバーに、前編では10年の振り返り、後編では「週末バンド」としての活動の仕方や、仕事と音楽の関係性について聞いた。

Interview:toconoma

週末バンド、toconomaが歩んだ10年間。会社とバンドを両立してきた理由|前編 music180824-toconoma-14

——先日は<フジロック>初出演おめでとうございました。

一同 ありがとうございます。

西川隆太郎(以下、西川) 天気がギリギリもって、僕らの時は結構晴れて。フタ開けたらすごいたくさんの人が来てくれたので、よかったです。

——そもそもバンドを結成した頃から<フジロック>のフィールド・オヴ・ヘブンに出たかったそうですね。結構持ち時間長いですが、作戦はありましたか?

石橋光太郎(以下、石橋) 結構セットリストは揉んだ気がします。なんかこう、お客さんが全然いないパターンとか。

西川 少ない方に届く用の曲を用意したり…(笑)。

——一つ目標が達成された感じですか?

石橋 いや、最終目標でもないから、燃え尽き症候群的にはならないけど……正直めっちゃ出たかったです(笑)。

西川 フジロックには出るまで行かない!みたいな無駄な意地を張り続けて、行けてなかったんですよね(笑)。でも、行ってみたら、ものすごくお祭り感や独特の楽しい雰囲気があって、また遊びに行きたいなと思いました。

——最近海外のお客さんも増えているんですが何か反応は?

西川 台湾で今年の4月にライブやったんですけど、その時のお客さんが来てくれて話しかけてくれて。エレファントジム(Elephant Gym)っていうバンドと対バンしたんですけど、「ライブ見ました! また台湾来てください」と声をかけてもらったのが嬉しかったですね。

石橋 配信を見て初めて知った人のリアクションがよかったとか。あと周りの友人、家族、昔からのバンド友達とかが「むちゃくちゃよかった」ってメッセージをたくさんくれて、素直にやっててよかったなと思いました。

——10年振り返るのはなかなか難しいと思うんですが、皆さんのバックボーンからお聞きして行きたいなと。矢向さん以外の3人は最初に楽器で弾いてみたものがビジュアル系バンドだったりするそうで。

石橋 はい。そうです。まあ、時代ってやつです。

——どんな音楽少年だったんですか?

石橋 なんだろう? CDが一番売れてた時代に思春期を過ごしたので、みんなと一緒にJ-POPも聴いてて、TRF聴いて、ミスチル(Mr.Children)聴いて、ギター始めて。でも高校生になってからはメロコア一色。もうHi-STANDRD、横山健になりたかった。

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西川 僕も全く一緒で、J-POP聴いて、中学くらいからギターを始めたのかな? ちょうどGLAYとかラルク(L’Arc〜en〜Ciel)が流行ってて。ちょうど中学生ぐらいだったのでコピーとかして。で、高校入ってやっぱりメロコア流行って、BRAHMANを完コピして(笑)。

——パンクに行くきっかけって<AIR JAM>ですか?

西川 ま、そうですね。<AIR JAM>がやっぱり大きいですね。あとは単純にみんな聴いてたし、流行ってたというのもあると思います。僕は大学に入ってからどっちかというと、ジャズとかレゲエとかスカとか、そういう感じで。友達にDJとか増えて来て、バンド界隈だけじゃない感じの音楽とかを聴き始めて。大学でギターやってる人が多かったから、鍵盤弾いてみようかぐらいの感じで(笑)。なので、ちゃんとピアノをやり始めたのは20歳からなんです。

——清水さんは?

清水 中学は完全LUNA SEAだけで。当時のビジュアル系の人たちって、ビジュアル系に憧れてビジュアル系始めてないので、いろんなルーツを持っていて。そこからすごい掘っていって、「あ、こういうのもあるんだ」っていうんで、いろんな音楽を知っていったという。でも高校は二人と一緒で、流行ってたメロコアとか聴いてて、高校卒業したらきっかけは覚えてないですけど、ハードコアとかが面白くなって、ハードコアバンド始めたりして。色々また広がっていった感じで。ドラムは親戚からもらって(笑)。それまでベースをやってたけど、高校の文化祭でドラムが必要だったこともあって始めたという。

矢向怜(以下、矢向) 僕もだいたいおんなじです(笑)。

——(笑)。toconomaの結成は社会人になってからなんですよね。

西川 そうです。社会人2年目からですね。

——同じ会社だったんですか?

西川 僕と石橋が一緒のグループ会社で。新入社員研修で音楽の話になって、近しい音楽を聴いてるし、まぁ楽器やってるから面白半分でスタジオ入ってみようか、ぐらいの。いたって普通のノリですね(笑)。

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——そこからバンドになって行くプロセスは?

西川 もともとドラムは違う人だったんですけど、3人でやってて、やっぱベース欲しいよねってなって、吉祥寺のNOAH(音楽貸しスタジオSOUND STUDIO NOAH)でメンバー募集の張り紙を石橋が作って貼って、それをビッて取ったのが矢向だったということです。

——その段階でもまだ趣味なんですか?

西川 今も趣味って言ったら怒られるかもしれないですけど(笑)、気持ち的には、うん、8割ぐらいは。

——結成当時にお手本になったバンドはあったんですか?

西川 toeとかですかね。

石橋 そうだね。当時はtoeとかSPECIAL OTHERSとか、その辺のインストバンドを聴きながら。あと同じ頃にクラブジャズのシーンもすごく盛り上がってたので、自然にインストバンドになった感じですかね。

——歌ってそれなりに……。

西川 僕らは特に歌詞にのせて何かを伝えるというコンセプトではなかったのかもしれないです。

石橋 そうですね。歌いたい人がいなかったから、じゃあインストでいいんじゃない? ぐらいの感じ。

西川 でも一曲だけありますよ。

石橋 一曲だけあるんですよね。矢向が絶唱してます。

矢向 ははは。

——それは音源になってるんですか?

西川 なってます。 1枚目の『POOL』を出す前にEPを自主制作で作って、そこに入ってます。

石橋 ちょっとした黒歴史みたいな(笑)。

矢向 サビだけ歌が入ってるぐらいで。なんであれをやろうと思ったのか(笑)。

——今や謎なんですね。『POOL』がリリースされるまで5年経過してますが、どの辺からアルバムを作ろうと思い始めたんですか?

西川 記念に作ろっかな、ぐらいの。

——OLさんみたいな発言ですが(笑)。

一同 ははは。

西川 石橋がグラフィックデザインやってるんで、CDのジャケット作りたいです、と。ある程度オリジナル曲もたまってきて、アルバム作ってみよっか? みたいな。500枚だけ。

石橋 みんなのボーナスじゃないですけど、貯金から資金を出して。人づてにレコーディングってのはどうやってやるのか聞いて。ご縁があってエンジニアの星野(星野誠。クラムボンやSPECIAL OTHERSなどを手がけるエンジニア)さんにたどり着いて。レコーディングの最中も別にどこのレーベルから出すとかもなかったですね。よく星野さん受けてくれたな〜。

——その段階でレコーディングの仕方とかミックスの仕方とかわからない状態で?

石橋 ど素人(笑)。

西川 全部、星野さんに教えてもらって。「そういうもんなんだぁ」みたいな(笑)。

——(笑)、すごい。レコーディング期間中ももちろん仕事も並行してるわけですよね。

西川 そうですね。土日を2週ぐらいで録ったのかな。

——今のグルーヴや色々な要素がある音楽性と比較するとすごくシンプルだなという印象が。

石橋 そうっすね。技術的な問題だと思います(笑)。

西川 ただ、原型としてはこう、メロディは割とキャッチーでビートはしっかりしてるみたいなのは、ゆるく僕らのテーマ的にあって、それは一応、再現できてるのかなと。『POOL』が出来始めたから、僕らはこういう感じの音楽なんだって、自分たちで認識する、そういう契機にはなったのかなと思います。

——バンド内で2012年頃、何かブームはありましたか?

西川 何聴いてたっけ(笑)? クロマニヨン(cro-magnon)、聴いてましたね。

石橋 クロマニヨンとかダチャンボ(Dachambo)とか、SOIL(&“PIMP”SESSIONS)とか、あの辺の人たちいいなと思いながらすごく聴いてた。

——『POOL』の翌年にはもう2ndの『TENT』がリリースされているんですが。

石橋 信じらんないペースですよね、今思うと。

西川 辛かったよね(笑)。

清水 ストックがあって作るのと、ゼロから作るっていうのは違うから。

——曲がどんどんできる時期だったんですか?

石橋 『POOL』をある程度、いろんな方から評価していただいて、タワレコの人が「すごくいい」って言って展開してくださったりとか、お客さんもジワジワっと増えていく中で、意外と自分たちがやってることって通用するのかな? みたいな、そういう自信はちょっとだけ出てきた頃ですね。それで、もっと音楽的なルーツを掘ってみたり、例えばギターでいうとカッティングってプレイをもっと研究してみようとか、そういう欲求がすごくあったような気がします。

西川 あとライブでセットリストの中で、「ここにこういう曲があったらいいのにな」とか、そういうのから出来た曲も結構あったりして。なんかそれは『POOL』を作った時とはちょっと違った感じはありましたよね。でもなんでそんなにタイトなスケジュールでやったんだろうという(笑)。

石橋 ほんとにね、そそのかしてくる悪い大人がいたんですよ(笑)。

西川 「アルバムどうですかね?」みたいな(笑)。

石橋 それをまだ僕らもウブでしたから、真に受けて作ったって感じですね。

西川 あまりに時間が無くて、合宿したんですよ(笑)。軽井沢で。「曲作んないとこれ、ダメだわ」って。

——それも皆さん休み合わせて?

西川 土日で軽井沢行って。バンドサークルとかが行くようなとこなのかも知れないんですけど、スタジオがあって、夜通しこもって、ああでもないこうでもないって3〜4曲作って。で、その後、パターゴルフして帰るみたいな(笑)。

——元気ですね(笑)。

石橋 その時自分のギターが修理中で、宿にあるヘロヘロのギターを借りてreliveを作ったような気が…。

西川 しかも熱出してたよね? なんのために来たんだみたいなね?

石橋 絶対もうあのペースはやんないですけど、1年って短いスパンで作品を出たのは結果的に良かったと思います。

西川 確かに(笑)。推進力にはなったよね。

石橋 その2ndアルバム出した時のリリースパーティを200人ぐらいのキャパでやったんですけど、そこが売り切れて、結果としては良かったなと。

——ゼロから作った『TENT』の音楽的な変化は皆さん自身はどう捉えてましたか?

西川 軸みたいなものはあんまり変わってないかもしれないですね。僕なんかでいうと、単純に機材が増えたりとかした部分もあったんで、より表現の幅みたいなものは『POOL』と『TENT』だと『TENT』の方があるし。

——明らかにタフになっていってる気はするんですよ、作品を重ねるごとに。

西川 気がするだけかもしれない(笑)。

——いやいや、スキルが必要な曲が明らかに出現していて。

石橋 やっぱり『POOL』を作った時に比べて、機材が増えたりしていて、シンプルに楽器の音色はどれがいいんだとか、曲をアレンジするとはどういうことなのか? とか、楽曲の構成とかそこに対する真剣度は上がっていて。レコーディングの現場でいうと、音を重ねてダビングするみたいなことも覚えたり(笑)、そこはバンドらしく健やかに成長していったのかなと思いますね。

——近作『NEWTOWN』に関しては、インストなんですけど「ソング」っていう概念というか、主旋律が印象的な曲が多いなと思ったんですが、その辺はどうですか?

石橋 作ってる時はそんな深いこと考えてないんですけど、言われてそうなのかもなと思ったのが、ライブが野外とか、人数も多くなってきてる時に、そこにいる人たちにちゃんと届くように……メロディがちゃんと聴こえるようなアレンジとか……そういうところが……………あったかなぁ(笑)?

西川 いや、それは完全に後付けですね(笑)。

——西川さんの鍵盤のバリエーションも増えて。

西川 こと鍵盤でいうと、音探しみたいな楽しみもあります。例えば代表的なところで“orbit”って曲があるんですけど、この曲はシーケンサー使って、ドラムとタイミング合わせてるんですが、そういうのはやったことなかったりとか。ちょっとレトロな感じとかも好きだったんで、“L.S.L”とか昔懐かしい音色を取り入れてみようかなとか、なんかそういう楽しみを作品にするみたいなのはありましたね。

toconoma“orbit”MV

toconoma“L.S.L”MV

——いわゆるインストといえばこんな感じみたいな曲じゃなくなってきて、すごいキャッチーだなと思いましたが。

西川 僕個人的には『POOL』から『NEWTOWN』まで、メロディとか旋律に関してはやっぱりこう、ちゃんとインストバンドだけど、ソラで歌えるというか「こういうメロディだよね」ってわからないと、ちょっとやっぱり……。

石橋 口ずさめない。

西川 と、元から思ってる節があって。それはあんまり変わってないというか。それがなんか音色を通じて割とはっきり出たのが『NEWTOWN』だったのかもしれないし。

清水 ドラムに関していうと、最新作は音作り、そこまでライブを想定せずにいろんなスネアの音色とか、シンバルを工夫してみたりっていうのをして……スキルは上がってるのかな(笑)? 作曲してくれるのが石橋と西川なんで、基本的に。ドラマーが作らないリズムってドラマーからしたら新鮮で、それに応えようとしてる結果だと思います。ま、『POOL』からずっとですけど。

石橋 いつもありがとうございます(笑)。

——(笑)。矢向さんはライブの時、すごい気持ち良さそうにベースを弾いてらっしゃいますが。

矢向 単純にバンドが好きですからね。自分の役割っていうのもあるし、曲としてどういう風にしたいっていうのがある中で、俺はここら辺の立ち位置じゃね? じゃあ自分的にはどうアプローチするのがいいかとか、聴かせるための工夫とか話し合ったりして。そういうのが枚数重ねるたびに増えてきてるので。

石橋 頼りになるしね、ベースソロが。困った時のベースソロ(笑)。スタジオで練習してると、ソロの時でもずっと座って弾いてるんですよ。でもライブだとソロは前に出るみたいな暗黙のルールがあって、<フジロック>のステージに立って、ライブしてる最中に「あ、この人、今日3回も前行くんだ」って気づくみたいな(笑)。

矢向 そこはそうだね。ちょっと恥ずかしい(笑)。

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石橋 「本日3回目のベースソロ!」(笑)。

西川 割とバンドの中でも和を保ってくれるタイプなんですけど、ライブになると結果的に一番前に出てる(笑)。

——アートワークについてもお聞きするんですが、インストバンドってあまりビジュアルを特定できない良さもあるなと思って。アー写もジャケットのアートワークも。

清水 最初に石橋が作りたいの作って、それがtoconomaのブランディングになってて、結果的に今こうなってる感じがあるけど。

石橋 アー写にイラストが多いのは撮影する時間がないからです。月に4日しか稼動できないので、練習したいんですよね。写真のやつは、イベントの出演前に撮影したり、過去の写真をコラージュしてます。

——今のオフィシャルサイトのプロフィールになってるイラストはすごくいいですね。

石橋 まぁ某巨匠のインスパイア系。

西川 うちの母にも大変好評で(笑)。

石橋 僕が描いたんですけど、4人のキャラクターみたいなものを出したくて。多分、toconomaをやってる雰囲気ってこんな感じなんです。

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絶妙な4人の間合いには、「週末バンド」の現実的な大変ささえ、今や笑いに変える底力が。後半では、社会人バンドとして10年継続できた理由や、仕事とバンドのバランスなどについてお届けします。

EVENT INFORMATION

Tour TOCOJAWS 2018 -toconoma 10th anniversary-

Tour TOCOJAWS 2018/Hong Kong

2018.09.22(土)
TTN This Town Needs

Tour TOCOJAWS 2018/名古屋

2018.10.14(日)
名古屋CLUB QUATTRO
OPEN/16:00 START/17:00
¥3,800+1D(18歳以下入場無料/受付にて身分証明証をご提示ください/チケット購入者の後の入場になります)

Tour TOCOJAWS 2018/大阪

2018.10.27(土)
Umeda TRRAD
OPEN/18:00 START/19:00
¥3,800+1D(18歳以下入場無料/受付にて身分証明証をご提示ください/チケット購入者の後の入場になります)

Tour TOCOJAWS 2018/東京

2018.11.18(日)
TSUTAYA O-EAST
OPEN/16:00 START/17:00
¥3,800+1D(18歳以下入場無料/受付にて身分証明証をご提示ください/チケット購入者の後の入場になります)

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photo by Kohichi Ogasahara