Interview:玉山鉄二×山田孝之
音楽という共通のキッカケがあったのが今の僕らに繋がっている(玉山)
音楽仲間が必然と集まって、自然な流れで「フジロック行こうよ」って(山田)
ーーまずはお二人の初<フジロック>について教えてください。
玉山 僕はミューズ、マッシヴ・アタック、オアシスが来ていた年ですごく雨が降った年。確か2009年だったかと。あとその翌年2010年にも行きましたね。
山田 自分はケミカル・ブラザーズが出た2008年。その2年前ぐらいにも行ってます。初めの年はレンタカーを借りて前夜祭から行きました。
玉山 実は俺らまだ一度も一緒に行ったことがなくて。孝之が最初に<フジロック>に行った年、自分が(撮影で)ずっと海外に行っていた時で、それで国際電話で孝之と話したら「すげー楽しかったよ!」って話を聞いたんです。それで俺も来年は絶対に行こうって思ってスケジュール空けてもらって。でもその年に今度は孝之が行けなく……。これがずっと続いている感じですね。
山田 夏は基本的にどうしても撮影が入るんですよ……。
ーー一緒に行っているイメージがありました。ではお二人の共通点が「音楽」であり<フジロック>である?
山田 俺らがはじめて共演した時が兄弟役で。撮影初日にいきなり過去の回想シーンで「仲の良い兄弟が二人でなんとか一緒に生活してる」っていうシーンを撮らなきゃならなくて。でもいきなり「初めまして」だったので、お互いに撮影前に共通点を探して距離を縮めようとしていて。その時に「音楽」が共通の話題になってすごく盛り上がったんです。
玉山 そうだったね。俺も孝之も、お互い人見知りだし恥ずかしがり屋というか、簡単にふところに飛び込むタイプではなかった。だから音楽っていう共通のキッカケがあったのが今に繋がってますね。京都出身だったので音楽文化が結構あってそれがキッカケ。あとはノリでCDをジャケ買いしたり!そんな感じから、音楽仲間が出来てフェスに行くようになった。
山田 自分も10代〜20代後半は自分でもDJをやっていて、クラブミュージックが好きで聴いていた時期。お互い仲良くなって何回か夜とか一緒に遊びにいって、昼も会うようになって。その頃、音楽仲間が必然と集まってきたのもあって、いろんなイベント行っている間、自然な流れで「フジロック行こうよ」ってなっていった感じでしたね。
★玉山鉄二×山田孝之の注目アーティストとは。
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text&interview by Asami Shishido
photo by 横山マサト
フジロック’15
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